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戦後70年と八紘一宇と朝日新聞【西村幸祐】

WiLL 2015/4/7(火) 18:38配信

「戦後○年」という〈儀式〉

 相変わらず「戦後70年」と囃し立てるメディアの目的はいったい何か。これまで何度も書いてきたように「戦後○年」という標語に囚われている限り、日本の戦後は終っていないし、独立もしていない。だから、そうした状態を永久に望む人たちが必要とするのが「戦後○年」という〈儀式〉なのである。すなわちそれは、我が国を永久に占領状態にするための〈儀式〉と言える。
 三原じゅん子参院議員が3月16日の参院予算委員会の質問で、「ご紹介したいのが、日本が建国以来、大切にしてきた価値観、八紘一宇であります」と〈八紘一宇〉という言葉を持ち出したところ、案の定、朝日新聞やその追随メディアが大騒ぎした。すかさず朝日のなかでは優秀な編集委員の北野隆一氏が、ツイッターで入江相政侍従長の日記を引きながら自社の論調を側面支援した。
《八紘一宇の字は65年に宮崎県が復元。79年に訪れた昭和天皇は塔の前での歓迎を渋り、入江相政侍従長は「八紘一宇の前に立つは割り切れぬ気持ちがおあり」と記した》
《昭和天皇の侍従長、入江相政日記の1979年9月22日の記述。「宮崎の八紘一宇の塔の前にお立ちになって市民の奉迎にお答へになることにつき、割り切れぬお気持がおありのことが分り」、「結局上へお上りにならず、広場にお立ち台を設けてそこでお受け、塔のまはりを一廻りもやめることで意見一致」》
 昭和天皇も嫌っていたのが〈八紘一宇〉という言葉だと言いたいのだろうが、いつも天皇の権威や皇室のご存在そのものを徹底的に軽視する朝日が、自説のために侍従長日記を利用するのは品性がない。しかも、皇室祭祀を排除し、昭和天皇との関係も様々に推測される侍従長の日記であり、その信憑性に何の留保もつけないのは、どうも“朝日ジャーナリズム”らしくないではないか。

アメリカ様に報告する朝日の「奴隷の証明」

 そもそも朝日は、この三原発言を「軍国主義用語を平気で国会に持ち出すとは、安倍政権の極右体質が表れたものだ」と本当は記事で書きたかったのではないか。だが、そこまで書くと赤旗と間違われるとでも思ったのだろうか。
 興味深いことに、この報道は〈八紘一宇〉という言葉が死語になっているせいか一般読者の関心はあまりひかなかった。ところが、いわゆる識者といわれるジャーナリズム周辺に棲息する作家、文化人という類の人々が、ツイッターで三原じゅん子議員を口汚く罵ったり、侮辱した。
 朝日や毎日や御用文化人たちの反応が面白かったのは、〈八紘一宇〉という言葉の解釈より、70年前の占領軍による言論弾圧・情報統制をいまだに朝日とその一派が遵守する属国メディアであることを証明したことである。これはアメリカ様に報告する、朝日の「奴隷の証明」なのではないだろうか。
 連合国軍総司令部GHQが、日本占領後に最初に行ったのが「大東亜戦争」と「八紘一宇」という言葉の使用禁止だった。日本人が何のために対米戦争を戦ったのかという目的を削除することが日本占領に必要だったからである。米国がもし正しい戦争を行ったのなら、あるいは、そういう意識があったのなら、こんな野蛮な言論統制は不必要だった。
 朝日は3月14日付朝刊でも《北岡氏「侵略戦争」70年談話有識者懇で認識》という記事で首相官邸の「21世紀構想懇談会」で北岡伸一国際大学長が先の大戦を「侵略戦争であった」との認識を示したと報じていた。しかし、それも歪曲報道だった。3月15日に朝日は小さな訂正記事を掲載し、《「侵略戦争であった」とある部分は、「歴史学的には侵略だ」の誤りでした》と北岡氏の発言を訂正した。
 ここでも問われるは、北岡氏の古臭い、対米従属的な体制的歴史観が妥当かどうかではなく、朝日が北岡発言を加工増幅することで、より効果的に安倍政権攻撃の材料に利用した歪曲報道を行ったということである。と同時に、朝日がソースになると未だに大きな影響力を持ち得る、我が国の情報環境とメディア構造の歪(いびつ)さが問われなければならない。
 このように「戦後70年」という〈儀式〉は、日本の自立や再生に向かう力をいかに殺ぐかということのみに行われるのである。

西村幸祐(評論家・ジャーナリスト)

最終更新:2015/4/7(火) 18:38

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