ここから本文です

喝上げに使われる「南京虐殺事件」

WiLL 2015/11/11(水) 16:25配信

「俺たちは蒋介石より巧くやった」

 ユネスコの世界記憶遺産に、南京虐殺事件関連の記録が登録された。嘘も百ぺんいえば「人類が記憶すべき記録」となる? こんなベラボーな話もない。
 毛沢東は、生涯に只の一度も「南京虐殺事件」について言及したことはない(ユン・チァン著『マオ』)。毛は三十代後半、国民党宣伝処の機関紙編集長を務めた。宣伝のプロなら、三十万人虐殺をカードに使うはずだ。
 南京陥落の折、毛は延安の洞窟に潜み、彼が発行していた当時の人民日報は、南京陥落を数行のベタ記事で淡々と報じているだけ。生涯にわたって言及しなかったのは嘘と知っていたからだ。
 南京虐殺事件は東京裁判で初めて持ち出された。アメリカの宣教師マギーやベイツらが証言した。「貴方は自分の目でそれを見たのか」と問われ、「目撃したのは一件だけ」と答えている。アメリカは原爆投下をチャラにしたい。ために宣教師らを使って「国策」として三十万人虐殺を持ち出した。これに口裏を合わせたのが、アメリカの援助が欲しい国民党・蒋介石だ。
 蒋介石は「暴をもって暴に報いず」と格好つけたセリフで、「対日賠償を求めず」とした。その実は、「経済協力」の名で大枚を日本からふんだくっている。その蒋介石を毛沢東は台湾に追い払う。
 ほどなく訪中した社会党委員長・佐々木更三が「いろいろとご迷惑をかけました」と挨拶したところ、毛は「いやいや、日本のお陰で我々は政権を握ることができた」と問題にしない。当時の日本は貧しく、社会党は「牛乳を一日に一本、飲める社会にしよう」をスローガンに掲げている。日本という豚は太らせてから食ったほうがいい。
 豚が太ったところで、毛と周恩来は田中角栄を迎える。「いろいろとご迷惑をかけました」という田中に、周はいう。「それは道を歩いている婦人に間違って水を引っかけたときに使う言葉ですよ(そんな軽いもんじゃないぞ!)」。
 田中と周を居室に迎えた毛はいう。「喧嘩は済みましたか。喧嘩すればするほど仲良くなれるものです」。かくして中共式の喝上げが始まる。田中は、「永久賠償条約」といっても過言ではないほどの長期にわたるODA(経済協力)を約束させられる(註・いまだに続いている)。毛と周は笑ったはずだ。「俺たちは蒋介石より巧くやったぜ」。

1/2ページ

最終更新:2015/11/11(水) 18:53

WiLL

記事提供社からのご案内(外部サイト)

WiLL

ワック

2017年1月号
10月26日発売

特別定価800円(税込)

【総力特集】 さぁ、トランプだ 覚悟せよ!
トランプは天才奇術師ですな 渡部昇一
【特集】 自沈するセウォル号国家

なぜ今? 首相主導の働き方改革