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2人の「加勢大周」が初めて明かした芸名大騒動の舞台裏

デイリー新潮 2月28日(日)5時15分配信

 丸ビルと新丸ビル、大阪と新大阪――。新旧が並び立つ例はあるけれど、生身の人間にかぎっては滅多にない。例外が加勢大周と新加勢大周である。2人が並び立っていた期間はわずか20日だが、その衝撃の余波は、今も2人の人生にまとわりついているようだ。

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 それは1993年7月7日のことだった。

「あの日、僕は大阪で舞台の制作発表があって、終了後、ワイドショーのリポーターに“シンカセタイシュウさんがデビューしましたが”と言われましてね」

 そう語るのは、念のために言えば“元祖”の加勢大周(46)である。

「初め、よく聞き取れなくて“チンカス”に聞こえたので、なにバカなこと言ってるんだろうとポカンとしてしまったんですが、聞き直してやっと“新加勢”だとわかりました。こういうふうにやってきたか、とびっくりしましたね」

 椿事に至った経緯を、今は都内のバーで働く加勢に説明してもらおう。

「僕は高3のとき、バイト先の焼き鳥屋でスカウトされて、インターフェイスという事務所でモデルの仕事を始めたんですけど、ギャラを払ってくれない。要求したら“3本仕事したから3万円”と言われ、カチンときて“辞めます”と言った。そしたら“今進んでる映画のオーディションを頑張ってみてくれ”と。実は、もう就職活動をして教材会社から内定をもらっていたんですが、その『稲村ジェーン』のオーディションに合格しちゃった。せっかくだから役者として頑張ろう、と腹を決めました」

 だが、バブル真っただ中のカネ、カネという時代。

「事務所は目先の利益優先で、主役の仕事ばかり回してきますが、僕は役者としてなんのレッスンも受けられないまま。商品のように扱われたのは、事務所の女性タレントも一緒で、2人が別の事務所からセクシー女優としてデビューしてね。“元アイドル”と名乗るために歌手デビューさせていたんです。映画の撮影が始まっても、交通費も自分の立て替えで、給料を払ってもらえない期間が続いた。このままでは未来はないと思って事務所を辞める決意をし、契約解除の申請を内容証明で送ったんです」

 だが、契約は91年4月に自動更新されており、申請書を送ったのは4月4日。加勢は個人事務所で芸能活動を再開したが、インターフェイスは提訴してきた。請求は契約解除の無効、5億円の損害賠償、それに加勢大周の芸名使用禁止で、

「芸名の使用禁止とは虚を突かれました。ただ、92年の一審では負けましたけど、翌年、二審は勝訴。一応安心したのですが」

 ところが、6月30日の判決から1週間後、冒頭の椿事が発生したのである。

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最終更新:2月29日(月)12時9分

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