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西成の子どもたちの居場所"さと"が提示する新たな家族のかたち

ローリングストーン日本版 6/8(水) 18:00配信

"日雇い労働者の街"大阪市西成区釜ヶ崎で38年にわたり活動を続ける施設「こどもの里」、通称"さと"に密着したドキュメンタリー映画が公開される。



NPO法人として運営されている"さと"は、行政からの支援は僅かにもかかわらず、寄付や地道にバザーなどを行うことで運営を続け、どんな子でも、どんな時でも無料で受け入れ、釜ヶ崎の子どもたちの居場所になっている。そんな"さと"に2年間密着した映画『さとにきたらええやん』について、6月11日の公開に先立ち、監督の重江良樹氏に話を聞いた。

―監督は元々のお住まいも?

生まれも育ちも大阪です。

―この映画を撮ろうと思ったきっかけは、資料を読んだところによると、釜ヶ崎を歩いていて"さと"の前を通りかかったら子どもがバーン!と出てきて・・・っていう(笑)。

そうなんですよ。当時僕は学生で、卒業制作で、何か社会性がある面白いこと撮りたいと思っていて。で、大阪と言うたら西成や、っていうだけの軽い気持ちで行ったんですけど。たまたま"さと"の前を通りかかったら、上半身裸、短パンを履いた裸足の子どもが2人、建物から飛び出してきたと思ったら、その後ろから金髪アフロのお兄ちゃんが「待てー!」って追いかけてたんですよ。と思ったら、クルっと回ってまた建物の中に入っていって。それがメチャクチャ気になって。それがきっかけで"さと"に手伝いに行くようになったんです。で、「ちょっと卒業制作を撮らせてくれませんか?」って職員の方に言うたんですけど「そんなのアカンに決まってるやん」って言われて(笑)。その後、5年間は楽しくボランティアとして通ってたんです。

―5年もボランティアをしてたんですね。

ええ。2008年から通い出して、カメラを回したのは6年目の2013年の4月から。2年間、回しました。

―5年も一緒にいると、一緒にいるから撮れることもあるし、一緒にいるから撮りたくないという気持ちもあったのでは?

そうなんです。最初の5年間は撮りたくなかったんですよ。自分もすごく居心地がよくなってて。やっぱり撮る側と撮られる側になると、関係性が崩れると思うし。そういう自分にとって居心地がいい所を失いたくなかったし、この関係性を崩したくないなぁって。でも、撮ることを決断したからには・・・そんだけ大事な場所だという自覚があったんできっちり撮らなアカンなぁって。

―実際にカメラを構えて他者として眺めて、新たに見えてきたことってありましたか?

5年もいたら、それほど具体的じゃないけれど、だいたいのことはわかっていたんです。"さと"の運営の仕方とか、子どもたちが抱えていることとか。実際に撮影するとなると、そこを掘り下げないといけない。そうすると、この映画にも描かなかったようなシンドイことを抱えていることも知ったし。そのシンドさを、その子たちがどう受け止めているのかということも知れたし。"さと"自体も、映画で描いたような"ええところや"っていう一面だけじゃなくて、すごくシンドイ思いをしてる部分もあるってわかったし・・・。

―映画では"さと"にいる子どもたちの中から3人のお子さんをクローズアップしてますよね。映画でも言及している"さと"の方針によれば「誰でも利用できます」「いつでも宿泊できます」「土・日・祝もやっております」「利用料はいりません」ということですが、実際どんな子どもたちが、どういう感じで"さと"に来ているのですか?

"さと"は、誰が来てもいいっていう遊び場なんです。学童って本来は年齢制限あるんですけど、そういうことも無視していて、誰がいつ来てもいい。とはいえ、主に"さと"の近所の子ですね。それと、西成区の北部に釜ヶ崎はあるんですけど、そこに自転車で来られるような地域の子が来たり。あとは泊まりですよね。ぜんぜん違う地域の人が"さと"のことを知って「どうしても仕事が抜けれないんです。一泊だけ泊めてやってください」とか。そういう人もちょこちょこいます。

―"さと"に暮らしている子どもいますが、両親がいないとか、家庭が崩壊してるとかいう理由ですか?

それはファミリーホーム(小規模住居型児童養育事業)って言うんですが、定員が6名なんですよ。もちろん今おっしゃったように親子が一緒に暮らすべきじゃなかったり、両親が他界していたりする状況もあるし、それぞれの事情で一緒に暮らせないとか。児童相談所の判断ですよね。大阪では"こども相談センター"っていうんですけど。そこの判断で親子分離(児童相談所が、さまざまな理由により在宅での援助が困難な場合に、施設へ子どもを入所させる措置をとること)をしたりして。

―先ほど「撮影するとなると、掘り下げないといけない」とおっしゃいましたが、何を掘り下げようとしたんでしょうか?つまり、カメラを向けるのはある意味残酷なことなので、そうしてでも掘り下げたかったこととは?

魅力ですよね。子どもたち一人一人がもってる魅力を掘り下げたいな、と。ただ、掘り下げていく時に、社会的なテーマを狙いはしなかったけど、引っかかってくるとは思ってたんですね。・・・そうだ、思い出しました。映画でクローズアップしてる、高校生の女の子はファミリーホームで、"さと"に住んでいるんですが、一緒に暮らしてないお母さんのことが「好きや」って言うんですよね。彼女のところは、深刻な虐待とかのケースじゃないんで、親子分離はしてるけど月に1回は実家に帰っているし、お母さんはいつ来ても会える"切らない関係"を続けてるんです。それぐらいの歳やったらいろいろ考えることもあるやろうけど、素敵な笑顔で、「お母さん好きやー」って(笑)。僕は、まずそっから疑問でしたよね。

―ええ。

撮影を始めようとした時、子どもたちには「みんなの普段の生活の出来事を撮って観せることで、観る人に何かが伝わると思う」みたいな、すごく抽象的な言い方をしたと思うんですけど、その時に一番に「いいよ」って言ってくれたのもその女の子で。そんなことをきっかけに、彼女のことを掘り下げてみたんです。そしたら、彼女のお母さんも「一緒に暮らしてないけど、大事に思ってる」と言っていて。"こどもの里"館長の荘保(共子)さん、通称・デメさんが、よく「子どもが親のことを大事に思ってるから、親も宝なんや。その宝を私は大事にせなあかんねん」って言っているんです。彼女とお母さんの話を聞いて、やっとデメさんから教えられていたことが、自分の知識じゃなくて体験になったというか。すごくいいなって思ったし。虐待や貧困の報道を見てると、「子どもがかわいそう。悪い親や」っていう短絡的な報道しか出てない。その女の子のお母さんも、報道だけで見たら"あかんお母さん"っていう叩かれ方をして終わると思うんですね。でも話を聞いてみると、もちろん全部を僕に言うわけじゃないけど、この人にもいろんな人生経験があって、いろんなシンドイことも抱えながら生きてるんだなぁって。不器用だからうまく子どもと暮らせないけど、"さと"が間に入って三角形を作っている。それも、新しい家族の形なのかなあと思ったんです。親を叩くんじゃなくて、"さと"みたいなところを利用しながら形作られている家族の形ってええやんって。だから僕は、「こういう家族の形もええやん」って言いたかったんだと思う。子どもたちにも、そういう説明しましたね。質問の答えになるかどうかわからないですが、掘り下げるっていうことで言うと、その人のことを知って、僕が魅力を感じた人のことを更に知っていく。で、知った中で"これええやん"って思ったところを映画の中に映し出していく作業だったのかなと思います。

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最終更新:6/8(水) 18:00

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