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「舛添叩き」が衆愚の極みである理由

HARBOR BUSINESS Online 6/14(火) 16:20配信

 舛添要一都知事が窮地に立たされている。

 13に日開催された都議会総務委員会は、舛添知事の出席を要求し、集中審議を行った。(参照:時事ドットコムニュース)

 ここ数か月、メディアを賑わかせてきた、「舛添疑惑」は、ついに都議会の追求という局面を迎え、不信任決議提出も秒読み段階に入った。

 ここで今一度、舛添氏に降りかかる「嫌疑」なるものを振り返ってみよう。

 改めて振り返ってみると、確かに、舛添氏の「セコさ」が浮き彫りになる。情けないほどにセコい。

 自身の趣味である書道に関する用品ぐらい、自分のポケットマネーで支弁すればよい。仕事と家族旅行を兼ねて領収書を落とすなど、出張ついでに会社の経費で不倫旅行するせこいサラリーマンのようですらある。こうしてみると、確かに舛添氏には、倫理的な責めを受けるべき余地がたぶんに、ある。

 だが一方で、ヤメ検弁護士2名による報告書の通り、「不適切ではあるが、違法性はない」のも事実だ。

◆今一度問いたい。「何が問題なのか?」

 一番の問題となっている、「政治資金の私的流用」なるものにしても、違法性は極めて低い。

 そもそも原資が政党交付金であれ、支持者からの寄付金であれ、政治資金として集めたカネを何にどう使おうが、集めた側の勝手だ。

 無論、政治資金として集めたカネを、有権者個人や支持団体等に撒き投票を依頼する「買収行為」などは、公職選挙法で厳しく規制されている。しかし舛添氏の行為はそうした行為に該当しない。悪く表現したとしても、「政治資金を自分の遊興費として使った」に過ぎない。そしてこうした支弁を違法とする法は存在しない。

 そもそも何をもって「政治活動」というかなど、法は定めていないのだ。また、「何が政治活動か?」など法で定めるべきではないのだ。

 舛添氏には「公私混同」という批判が寄せられているが、そもそも政治活動とは、基本的人権に属する極めて私的な行為なのだ。その私的な活動を法で規定するのは、極めて危険ですらある。

 事実、総務省に問い合わせたところ、「政治資金規制法は、政治資金の使途までを規定するものではない」との回答であった。当然のことだ。それでこそ、基本的人権に立脚した近代的民主主義というものだろう。

 舛添氏のように政治資金を家族や自分の趣味のために支弁するのは確かに見苦しい。おそらくそうした行為は、選挙における得票数の拡大につながらぬであろ。だがそうした「不効率な政治資金の使用」の結果は、「当落」という形で、舛添氏個人が受け止めるべき代物に過ぎない。純然たる自己責任論の範疇でしかなく、他人がとやかく言う問題ではないのだ。

 にもかかわらず、朝野をあげて「舛添やめろ」の嵐である。おそらくこのままいけば、都議会自民党も、不信任決議を提出することになるだろう。都議会自民党の中にも、舛添に「非効率な政治資金の使用」を行っている議員は何人もいるだろうにもかかわらずに。

 叩くとなったら、根拠不明でも叩く。法令違反を犯しているわけでもないのに、政治家を叩く。たかだか百数十万の、そして百数十万レベルだからこそ「庶民感覚」なるものに近い「他人のカネ遣い」で、政治家を屠る。

 こうした集団リンチ(法によらずに社会的な制裁を加えているのだから、狭義のリンチにさえ相当する)に熱狂するのも気持ち良いのだろう。しかし落ちた犬を叩いて溜飲を下げ快楽を貪っている傍で、景気対策や改憲など、極めて重要なイシューが争点となる参院選が刻一刻と近づいている。

 セコいオヤジを叩いている側こそが、極めてせこいレベルに堕ちいっているように思えて、ならない。

<文・図版/菅野完(Twitter ID:@noiehoie) 写真/東京都知事定例会見 2016年6月10日放送 via TOKYO MX on YouTube>

※菅野完氏の連載、「草の根保守の蠢動」が待望の書籍化。連載時原稿に加筆し、『日本会議の研究』として扶桑社新書より発売中

ハーバー・ビジネス・オンライン

最終更新:6/14(火) 16:29

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