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冒険と読書が教えてくれたこと 辰野勇(株式会社モンベル 代表取締役会長兼CEO)

本の話WEB 6/18(土) 12:00配信

 山に魅了された男は、高校時代に抱いた二つの夢をかなえた。アイガー北壁の登攀という夢は、当時の世界最年少記録である二十一歳で達成。また、アウトドアビジネスを立ち上げるという目標は、二十八歳で叶えた。今年二月には毎日経済人賞も受賞したモンベルの創業者の哲学に迫る。

 高校一年生のときに、教科書に載っていたヨーロッパ三大北壁の一つ、アイガー北壁の初登攀記録『白い蜘蛛』を読んで、「いつか自分も」と誓いました。同時に、二十八歳までに山に関わるビジネスを始めようという目標も立てたんです。

 高校時代の数学の先生が“山好き”で、いつもこんなことをおっしゃっていました。「人間は生まれたときには無限の可能性を持っている。年齢を一つずつ重ねるにしたがって、自らがその限界を狭めていく。死に向かって収れんしていく中で、どう生きていくかが大切なのだ」と。

 アイガー北壁に挑むために、日本アルプスで技術を磨いているとき、仲間の死にも直面しました。二十一歳で無事に頂上に立つことが出来ましたが、ハインリッヒ・ハラーの初登攀以来、六十人が遭難し、私は六十人目の成功者でした。死ぬか成功するかは、二分の一の確率。もちろん怖かったですけれど、挑戦せずにはいられなかった。山に登りながら、「人は何故冒険をするのか」と自らに問い続けてきたような気がします。

 夢枕獏さんの『エヴェレスト 神々の山嶺(いただき)』にも、死をも恐れない登山家が登場します。エヴェレストを初登頂したヒラリーの以前に、山頂付近で遭難したマロリーがエヴェレストの登頂に成功していたかどうか、その謎に迫るという物語です。孤高の登山家・羽生丈二が出てきますが、この小説や映画を見た人が、「死を恐れない」という心理をどこまで理解できるのでしょうか。

 私の場合は、少し客観的です。というのも、アイガー北壁を登攀した二十一歳のときに、やり切ってしまったような気持ちになったからなんです。競っているわけじゃないんだけれども、目標を失っている間に、登山家たちの先頭集団には追いつけなくなった自分がいる。そのときに「死を恐れぬ」とは違う景色が見えてきたこともあって、モンベルを立ち上げたり、カヌーという新たな挑戦の舞台を見つけることが出来たんだと思います。

 影響を受けた本が、司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』でした。司馬さんは、日本人が生死をかけた日露戦争を描いているけれど、どこか一歩ひいて、俯瞰をした視線で描いている。人生は〇と×じゃない、ということを教えてくれたような気がしています。

 山に登り始めた頃から哲学的に考えるようになりましたが、自分の中に内在するものが、読書がきっかけで明確に浮かび上がることが多かった。本を読むというのは、大切な時間だと思っています。

 あるアメリカ企業が主催する「冒険大賞」の審査員を引き受けたときに、ミシガン大学の先生と話す機会がありました。この先生に「人はなぜ命をかけて冒険するのか」という疑問を訊ねてみると、彼はこう答えてくれました。

「命を賭けて、他人のしないことをする人間は全人口の〇・三パーセントしかいない。つまり、神が創造した突然変異。そのほかの人々は、安全で快適な生活を望む。でも、現在の快適な暮らしというのは、限界を超えて作業をしてきた人たちが、作り上げたものなんですよ」

 実際、医療の分野では、華岡青洲は妻を実験台に麻酔を用いた手術に挑み、エドワード・ジェンナーらは、親しい人間を実験台にして、天然痘ワクチンを開発しました。つまりそれが、人間の特性なのだと聞いて、少し気が楽になりました。

 最後に紹介したいのが『山の思想史』という本です。著者は高峰への挑戦は、デーモニッシュ(悪魔的)な活動である、と指摘しています。西洋では「悪魔のように速い」という表現があるように、人間の英知を超えた計り知れない力を「悪魔」という言葉で表現しています。この悪魔の力を得た歴史上の人物として、ヒットラーや、ナポレオンらが挙げられています。悪魔に魅入られて、その指につまみあげられた人が、自分の能力以上のものを発揮し、歴史を動かした。ただ、悪魔は気まぐれで、急に手を離すこともある。悪魔をコントロールできなかった人間は、非業の死を遂げると。

 モンベルも創業以来、順調に来ましたが、私はこう考えるようにしているんです。目に見えない力に助けられながら、ビジネスを成功させてきたが、いつ落とされてもいいように自らをコントロールしないといけないと(笑)。山男というのは怖がりなんですよ。日帰りの登山でもリュックサックの中には必ずヘッドランプを入れるし、天気の良い日でも雨具を準備しますからね。

お勧めの4冊

・『新編・白い蜘蛛』 (ハインリッヒ・ハラー 著) 山と溪谷社

・『エヴェレスト 神々の山嶺』 (夢枕獏 著) 角川文庫

・『坂の上の雲』(全八巻) (司馬遼太郎 著) 文春文庫

・『山の思想史』 (三田博雄 著) 岩波新書

辰野勇(たつの・いさむ)

1947年生まれ。1969年に世界最年少(当時)の21歳でアイガー北壁に登頂。1975年にモンベルを設立。黒部川の源流部から河口までカヤックでの初下降にも成功した

会社メモ:1975年、世界で愛される登山用具の開発を目ざして設立。高機能素材を使った寝袋が大ヒット。レインウェアやテント、カヌーなども支持され、日本有数のアウトドア製品メーカーに

聞き手:「オール讀物」編集部

最終更新:6/18(土) 12:00

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