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夏目漱石、●●●の治療で人生初の入院生活に突入する。

サライ.jp 6/18(土) 7:10配信

今から106 年前の今日、すなわち明治43年(1910)6月18日、43歳の漱石は、鏡子夫人に付き添われて東京・内幸町の長与胃腸病院の19号室に入院した。

19号室は、一等病室だった。南向きで明るく、病院というより宿屋にやってきたような感じさえした。窓外には、雨に濡れたドイツ公使館の赤煉瓦の建物が美しく、先の尖ったヒバ、青梅の葉、柳の緑、日比谷図書館の建物なども見えていた。

漱石がこの病院の門を叩いたのは、2週間ほど前の6月6日。

胃の調子の悪さは、もう随分以前から続いていた。それでも、これまで売薬や町医者の投薬くらいで、その場しのぎに凌(しの)いできていた。だが、いよいよその苦痛にも堪えかね、鏡子の度重なる勧めもあって、漱石はようやく専門病院へと足を運んだのである。

検査の結果、胃潰瘍できちんとした治療が必要と診断された。それほどひどいわけではないが、家にいては手当ては行き届かない。毎日通うのも大変だから、いっそ入院した方がいいだろう。そんな話をされて、この日の入院に至ったのであった。

病室に落ち着いたあと、昼食には牛乳、卵、刺身、米飯が出され、漱石は3杯もお代わりした。いよいよ本格的な治療に入るという安心感から、胃の不調を上回る食欲がわきあがっていたのだろうか。夕食は昼に比べると軽めで、牛乳、卵、具の入っていない茶碗蒸が供された。食事の合間には、大小便の検査がなされた。

隣の病室からは、老婆が付き添い人に小説を読んでもらう声が、ときどき聞こえていた。テレビやラジオなどない時代で、病室で愉しめる娯楽は少ないから、そんな光景も展開されていた。老婆は自身で本を黙読するには、いささか視力に弱みを生じていたのかもしれない。

漱石の入院のことを聞きつけ、門下生の野上豊一郎と小宮豊隆が、早速この日、見舞いにかけつけた。

野上豊一郎は、この3年前、妻の野上弥生子(八重子)が病床に伏したとき、漱石からこんな懇切な手紙を受け取っている。

《拝啓 この間中から八重子さんが御病気の由(よし)、大したこともないだろうと思っていたら昨日鈴木(三重吉)の話では熱が四十度もある由。それでは普通風邪くらいなことではないのだろう。なかなか大病で君も看病に骨が折れることだろうと思う。(略)何か不便なことがあるならして上げる。云(い)うて来給(きたま)え。以上》

その先生が入院すると聞いては、真っ先に駆けつけないわけにはいかない。野上はそんな気持ちであったろう。漱石にとっても、体は元気だし、時間つぶしに恰好の嬉しい訪客であった。

夜7時半頃、やはり門下生である行徳二郎が、本とインクと上草履を持って病室にやってきた。病院から帰宅した鏡子にことづかって、夏目家から持参したものだった。二郎は、1時間ほど話して引き上げた。この日からしばらく、漱石留守中の手伝いとして、夏目家へ泊り込むことになった行徳二郎であった。

■今日の漱石「心の言葉」
僕、胃潰瘍の嫌疑にて明日から病院に入る。御馳走も当分駄目になる(『書簡』明治42年6月17日より)

Web版「夏目漱石デジタル文学館」
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館。同館のサイトに特設されている「Web版 夏目漱石デジタル文学館」では、漱石自筆の原稿や手紙、遺愛品、写真など漱石にまつわる貴重な資料画像を解説付きで公開しています。

県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。

最終更新:6/18(土) 7:10

サライ.jp