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夏目漱石の傑作『それから』の最初の原稿が生まれた日。

サライ.jp 6/19(日) 7:10配信

今から107 年前の今日、すなわち明治42年(1909)6月19日、漱石は、まもなく新聞連載が始まる小説『それから』の原稿20回分(一の一~四の三)を、ひとまとめにして封入していた。周囲には、花瓶に挿(さ)した百合(ゆり)の香りが漂っていた。

このあと、百合の花は、連載小説の随所に登場してくることになる。

新関公子著『「漱石の美術愛」推理ノート』が指摘するように、白百合は、聖母マリアの「受胎告知」をテーマとする西洋画にマリアの処女性をあらわす花として必ず描かれるなど、「純潔」の象徴とされる。その白百合が、主人公の代助とヒロイン三千代の傍らに寄り添うように置かれるのである。

漱石は百合の花が好きだった。小説『夢十夜』の第1話の、美しい恋愛ファンタジーのラストシーンでも、百合の花が登場する。

《真白な百合が鼻の先で骨に徹(こた)えるほど匂った。そこへ遥(はるか)の上からぽたりと露が落ちたので、花は自分の重みでふらふらと動いた。自分は首を前へ出して冷たい露の滴(したた)る、白い花びらに接吻(せっぷん)した。自分が百合から顔を離す拍子に思わず、遠い空を見たら、暁の星がたった一つ瞬(またた)いていた。

「百年はもう来ていたんだな」とこの時始めて気が付いた。》

ここで、百合の花は、100 年待ち続けた恋人の転生であった。

一方で、現実の漱石の書斎に仄(ほの)かにかおる花の匂いは、作家のイメージを喚起するだけでなく、お香と同じように、神経を鎮めたり、集中力を高めたりする働きもあったのかもしれない。

漱石がこの頃使っていた原稿用紙は、19字詰め10行、上部に「漱石山房」の4文字を挟んでふたつの竜頭が向き合う、橋口五葉デザインの特注品だった。19字詰めという半端な字詰めは、新聞の紙面に合わせたものであった。

原稿の送り先は、東京朝日新聞社会部主任の山本笑月(しょうげつ/本名・松之助)。漱石はこんな手紙も添えた。

《拝啓 拙稿「それから」二十回分、御手許(おてもと)へ差出候(さしだしそうろう)につき可然(しかるべく)御取計(おとりはからい)願上(ねがいあげ)候。あとは又二三十回宛(あて)まとめて時々差出す事に可致(いたすべく)と存候(ぞんじそうろう)》

多少筆がとどこおることがあっても、連載に穴を空(あ)けたりすることのないよう、相当程度の余裕を持って進行していきたい。そんな漱石の思いが感じられる。

小説『三四郎』(明治41年9月~12月まで新聞に連載)のあと、漱石の後押しで朝日新聞に連載された森田草平の小説『煤煙』は、作者・草平の筆の停滞から、何度か休載を余儀なくされた。門弟が現場にそんな迷惑をかけたあとだけに、漱石はいつも以上に強い責任感に駆られていた。

もうひとつ、漱石には気にかかることがあった。それは、書きはじめてまもない小説が、この先、どれくらいの長さになっていくかという確かな展望が、本人にもつきかねていることだった。書き進めながら、意外に短めに終幕に向かってしまうこともあり得なくない。なので、万が一のため、次の連載小説の書き手も早めに段取りをつけておいた方がよいと思い、その旨も笑月に伝えた。

《「それから」の長さ自分にも判じかね候ゆえ、万一を慮かり次回の小説の執筆者はせいぜい早く御取極(おとりきめ)御依頼のほど願いおき候》

原稿執筆の真っ只中にいながら、編集顧問的な高みにも立って、中期の紙面づくりにまで配慮を示す漱石先生なのだった。

■今日の漱石「心の言葉」
百合の花を眺めながら、部屋をおおう強い香の中に、残りなく自己を放擲(ほうてき)した(『それから』より)

Web版「夏目漱石デジタル文学館」
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館。同館のサイトに特設されている「Web版 夏目漱石デジタル文学館」では、漱石自筆の原稿や手紙、遺愛品、写真など漱石にまつわる貴重な資料画像を解説付きで公開しています。

県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。

最終更新:6/19(日) 7:10

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