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「山本山」と「永谷園」の古い縁――江戸時代に遡る運命的出会いが老舗を育てた

HARBOR BUSINESS Online 6/19(日) 16:20配信

◆上から読んでも下から読んでも山本山でお馴染み

「上から読んでも山本山、下から読んでも山本山」のCMでもお馴染みの山本山は、海苔とお茶の販売で知られる老舗メーカーです。なお『味附海苔』を開発し、丸に梅の字の『まるうめ』ブランドで有名な山本海苔店と混同されがちですが、全くの別会社です。

 ちなみに山本山と山本海苔店に加えて、江戸一番の海苔商で日本初のビン詰め焼海苔『貯蔵(かこい)海苔』を開発した「山形屋海苔店」が「海苔の御三家」と呼ばれる海苔を扱う老舗ですが「海苔」「山本(形)」「日本橋(京橋)」と共通点が多く、なおさら混乱してしまいますね。

 とはいえ、この3社の中で、山本海苔と山形屋は元々海苔を取り扱っていましたが、山本山が取り扱い始めたのは、戦後の1947年とだいぶ後発で、元々はお茶の会社でした。なので、今回はお茶を中心に山本山の歴史に触れてみたいと思います。

◆山本山を飛躍させた永谷園の先祖との運命的な出会い

 山本山の創業は元禄3年(1690年)初代の山本嘉兵衛が、山城国(京都府南部)宇治山本村から上京し、日本橋で和紙やお茶、茶器類等を扱う「鍵屋」を開業したことに始まります。なお「鍵屋」の屋号はその後「紙屋嘉兵衛」「都竜軒嘉兵衛」「山本屋嘉兵衛」「山本屋嘉兵衛商店」等、変わっていきますが「山本嘉兵衛」という名は、歴代の当主に受け継がれています(ちなみに、上記の山本海苔店の当主も代々「山本德治郎」です)。

 こうしてスタートした山本山でしたが、4代目の山本嘉兵衛の時に、大きなチャンスが文字通り、訪れます。『山本家旧記』に記された記述にはこうあります。

「元文三年(1738年)秋、山城国綴喜湯屋谷の人永谷宗円なるもの、始めて梨蒸煎茶なるものを発明し、佳品若干斤を携え、江戸に来たり、試売を四世嘉兵衛に乞う。その品質の佳良にしてその味の美なるあたかも甘露の如しと。これを発売するや家声大いに揚り、八百八街到る処としてこれを愛喫せざるものなきに至れり。これ江戸市民が宇治茶を愛用せるの濫觴なりとす。」

 この永谷宗円なる人物こそが、現在にも受け継がれている日本煎茶の基礎である「宇治製法」の発明者であり、永谷園の創業者・永谷嘉男の先祖である、永谷宗円でした。

◆誰も認めなかった新商品のポテンシャルを見抜いた4代目の慧眼

 当時飲まれていた煎茶は、日干しで乾かした茶色い「黒茶」であり、味も良くありませんでした。それに対して、宗円が発明した煎茶は、お湯で茶葉を蒸した後に、焙炉と呼ばれる茶葉を乾燥させるための箱の上で茶葉を手揉することにより、美しい黄緑色と、適度の渋み、苦みに、旨味、甘味を実現した画期的なものでした。

 そして、この茶葉の販路を開拓すべく、江戸を訪れた宗円でしたが、従来と全く違うこの茶葉の価値を評価してくれる茶商はおらず、最後に訪れたのが山本屋だったのです。上記の通り、その美味に感嘆した4代目は、その味を即座に認め、小判3枚で買い取り、翌年の購入も約束しました。

 この煎茶に「天下一」と名付けて売り出すと、江戸そして、全国で圧倒的な人気を博し、山本屋は大きな評判と莫大な利益を挙げました。ちなみに、山本家は永谷家にお礼として、毎年小判25両を明治八年(1875年)まで贈り続けたというので、それがどれほど大きな商いに繋がったのか伺えます。

◆5代目、6代目も「狭山茶」「玉露」でお茶の歴史に名を刻む

 4代目の時に、永谷宗円とその煎茶との出会いにより大きな飛躍を遂げた山本屋でしたが、続く5代目、6代目も、日本茶の歴史に残る大きな業績を残しています。「古今稀な知恵の持ち主」と宇治の生産者達からも評された5代目でしたが、4代目と同じように、当時はマイナーな存在だった「狭山茶」を発掘して「霜の花」「雪の梅」と名付け積極的に販売、狭山茶は「静岡茶」「宇治茶」と並んで「日本三大茶」と称される存在になります。

 逆に、6代目は生産側として、凄い仕事を成し遂げています。天保六年(1835年)に、宇治小倉郷の木下吉左衛門宅を製造に立ち会うために訪れた6代目は、製茶中の茶葉を露のように丸く焙ることを思いついて、やってみたところ甘露の味わいの絶品に仕上がることを発見します。これこそが、今日にも至る高級茶葉「玉露」でした。

 このように、歴代の当主に恵まれた山本山は、4代目以降も更なる発展を遂げました。その繁盛ぶりは『江戸名物狂詩選』にある「買う者立ち並び客は市の如く、番頭手代少しも間無し、一時に売り出す三千斤、多く是れ自園の山本山」という記述からも相当なものだったことが想像できますね。

◆ブラジルで日本茶を作って、ロサンゼルスでハーブを売る老舗

 こうしてあらためて見てみると、その後時代が移っても、冒頭に触れた通り、1947年にはもう一つの看板商品である海苔の取り扱いを開始したり「上から読んでも~」で積極的なブランディングを展開したり、と老舗とは思えないほど、時代の流れに合わせて積極的に事業を展開している山本山ですが、実は海外にも1970年代から進出していたりします。

 その内容も、ブラジルで東京ドーム45個分もの面積の茶園を作ってお茶を生産する一方で、ロサンゼルスに現地法人を作り、アメリカ・ヨーロッパ・アジアの各国で健康飲料として注目されている日本茶をはじめ、中国茶・紅茶・ハーブティーの製造及び、世界中でブームとなっている寿司に使用される海苔の加工を行なうなど、垂直方向(生産)から水平方向(販路)まで、文字通りの縦横無尽感もあります。

第74期決算公告:6月3日官報38頁より

当期純損失:△2億6504万円

利益剰余金:63億3703万円

過去の決算情報:詳しくはこちら http://nokizal.com/company/show/id/1445569#flst

 直近の決算を見ると、2年連続で3億円前後の赤字になっている山本山ですが、さすがに利益剰余金も63億円と積み上がっており、少々のことでは大丈夫そうです。また、物が売れないこの時代に、体力のあるうちに海外など次の時代に繋がる投資が出来ているのであれば、ただ座してシュリンクを待つような老舗よりは、よほど健全な可能性もあります。

 あと、今回の内容を振り返ってみると、1738年に煎茶を売り出し、1835年に玉露を開発し、1947年に海苔の販売を開始した、山本山であれば、2030~40年くらいには何かまた画期的なことをやるのではないかと(笑)。創業300年以上の老舗らしい周期の新規展開に期待したいですね。

決算数字の留意事項

基本的に、当期純利益はその期の最終的な損益を、利益剰余金はその期までの累積黒字額or赤字額を示しています。ただし、当期純利益だけでは広告や設備等への投資状況や突発的な損益発生等の個別状況までは把握できないことがあります。また、利益剰余金に関しても、資本金に組み入れることも可能なので、それが少ないorマイナス=良くない状況、とはならないケースもありますので、企業の経営状況の判断基準の一つとしてご利用下さい。

【平野健児(ひらのけんじ)】

1980年京都生まれ、神戸大学文学部日本史科卒。新卒でWeb広告営業を経験後、Webを中心とした新規事業の立ち上げ請負業務で独立。WebサイトM&Aの『SiteStock』や無料家計簿アプリ『ReceReco』他、多数の新規事業の立ち上げ、運営に携わる。現在は株式会社Plainworksを創業、全国の企業情報(全上場企業3600社、非上場企業25000社以上の業績情報含む)を無料&会員登録不要で提供する、ビジネスマンや就活生向けのカジュアルな企業情報ダッシュボードアプリ『NOKIZAL(ノキザル)』を立ち上げ、運営中。

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最終更新:6/19(日) 16:24

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