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熊本地震で早期復旧できた商業施設、鍵は「海上物流」

HARBOR BUSINESS Online 6/19(日) 9:10配信

 熊本県と同様に大きな揺れに襲われたものの、全壊した商業施設がなかった大分県の商業施設の復興は早かった。

 震度6弱の揺れに襲われたために建物の被害が出た店舗もあったものの、大分県の地場最大手スーパー「マルショクサンリブグループ」や地場百貨店系スーパー「トキハインダストリー」では全店舗を1日も休業させることなく営業。破損した部分を補修しながら営業を継続した。また、イオングループでも、4月18日までに全店舗が営業を再開。5月末現在で、大分県内で営業ができなくなっている大型商業施設は別府市の大型ホームセンター1店舗のみとなっている。

 大分県でも地震直後は交通網が各地で寸断され、特に大分自動車道の通行止めは5月9日まで続いたが、大分県では従来から海上物流への依存度も比較的高く、また、県都である大分市では地震の被害が殆どなかったために、熊本県ほど深刻な品不足は起きず、別府市や由布市の大型店でも被害が少なかった地域の店舗から水など被災者に必要とされている商品を仕入れることができたという。

◆深刻な観光客減少、大型店にとっても死活問題

 一方で、県内を代表する観光地が大きな揺れに襲われた大分県では、大型商業施設においても観光客の減少による影響が深刻なものとなっている。

 別府駅近くのトキハ百貨店では、観光客で賑わうはずの土産品売場はゴールデンウィーク中でもいつもより閑散としていた。

 食品担当の店員は「今日の午前中はいくらかお土産を買うお客さまもいらっしゃいましたが…」とポツリ。ゴールデンウィークを見据えて大量に陳列された銘菓が悲しげに見えた。

◆営業再開できた店舗、いつもの売場とは一変-影響は広範囲に

 被災地で運良く被害を免れて早期に営業を再開できた商業施設でも、売場の様子は震災前とは一変した。

 百貨店や大手雑貨店においても、急遽防災用品コーナーを設置、普段は売場の隅にある防災グッズの販売を売場の中央に移動させた店舗や、食器など震災時に必要とされる生活必需品の特売を行うことで、被災者の生活支援に努める店舗が多くあった。

 地震の影響は、地震による直接の被害が少なかった地域の商業施設でも大きかった。

 地震の被害が大きかった熊本県は西日本有数の酪農県であり、さらに西日本各地にパンや納豆、豆腐などを出荷する工場が多く所在する。また、大分県でも被害を受けた農家もあるほか、道路の寸断により一時的に製品を出荷できなかったり、原材料が届かないために営業できない食品工場が複数あった。

 そのため、九州各地のスーパーでは熊本地震の直後に牛乳、パン、納豆、豆腐などの品不足が発生。その影響は、遠く中国・四国地方の一部にも及び、普段は見かけない東日本のメーカーの牛乳やヨーグルトが店頭に並ぶ店もあった。

 このうち、パンや乳製品については殆どの生産工場が5月までに営業を再開しており、このような状況は一時的なものとなったが、納豆や豆腐などの欠品は5月になっても解消されていない地域が多い。

 熊本県が5月にまとめたところによると、熊本県内の農業被害は約1345億円にも上るという。熊本県が生産量全国1位を誇るスイカやトマトはこれから夏にかけて出荷の最盛期を迎えるため、震災が食卓に与える影響は長期化しそうだ。

◆小売業の復活は「日常を取り戻す」ことへの第一歩

 熊本地震の発生から約2ヶ月が経過した。地域によって差はあるものの、復興は着実に進んでおり、被災地でも徐々に日常生活を取り戻しつつある。ピーク時には熊本県で約18万人、大分県で約2万人を数えた避難者も、ライフラインの復旧や自宅の修復、転居などによって、5月中旬には両県合わせて約1万人を切る数にまで減少した。

 熊本地震の本震が発生した直後の4月17日、政府が被災地に90万食を無償提供するとともに、それに加えて70万食を物流確保・店頭配送することを発表した際、「全てを避難所への無償支援物資とすべきだ」との批判の声があがった。

 しかし、被災地の全員が「避難者」だった訳ではない。被災地の住民の大半は避難所ではなく、自宅や親族の家などで不安な日々を過ごしていた。

 これらの人々が普段通りの生活に戻るためには、避難所に物資を届けるだけでは不十分なことは明白だ。

 地震が起きた直後から復興は始まっている。いつもの行きつけの店舗や商店街が営業を再開し、生活に必要なものを買い揃えることができるようになるということは、「日常」を取り戻すためへの第一歩でもある。

 ライフラインが復旧しない家も多いなか、多大な努力により物流が確保できた店舗は、被災者のために格安で生活必需品を販売した。

 そして、街の顔であり、長期休業していた百貨店やファッションビルが復活した時には、早朝から多くの客が並んだ。

 被災地の誰もが、自由に買い物するという「日常を取り戻したい」と思っているのである。

 そして、被災者に「日常を取り戻させてあげたい」と願いつつ、同じく被災者である自らも「日常を取り戻したい」と願ったのは、大型店やコンビニエンスストア、商店街などの商店主や従業員も同様であった。

◆「営業再開が復興への近道」と奮起する小売業

 かつての大震災の際、ある大手スーパーは店舗の営業再開が復興への近道だとして、採算度外視の輸送体制を採ることでいち早く営業を再開、住民に生活必需品を格安で販売した。

 また、九州のある大手スーパーは、台風災害が起きるたびに採算度外視で離島店舗の物流を確保し、営業を続けることで島民の信頼を得ていた。

 これは、当時は「小売業者に余裕があった時代」だからこそ行えたとも言えるかも知れない。現に、この2社はともに2000年代に入り経営破綻を起こしている。

 しかし、こうしてかつての大手流通企業が遺した「災害時の対応マニュアル」は、現在の大手流通企業やコンビニエンスストアへと受け継がれている。

 小売業は決して公共事業ではない。しかし、大型店や商店街は大きな社会インフラであり、地域社会を形づくる、欠かせない大きな要素の1つである。

 全国各地で災害が頻発する日本だからこそ、こういった災害時に、地域社会に対してどのような対応ができるか、また、災害に強い店舗づくりができるか、そして、災害時に被災者に頼りにされ「営業再開を待ち望まれるような店づくり」を行うことができるかということは、今後の小売企業や商店街の発展の鍵にもなるであろう。

(取材日:4月23日~5月14日)

<取材・文・写真/都市商業研究所>

【都市商業研究所】

若手研究者で作る「商業」と「まちづくり」の研究団体。Webサイト「都商研ニュース」では、研究員の独自取材や各社のプレスリリースなどを基に、商業とまちづくりに興味がある人に対して「都市」と「商業」の動きを分かりやすく解説している。Twitterアカウントは「@toshouken」

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最終更新:6/19(日) 9:10

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