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偏愛読書館未開の地での悪戦苦闘 『女二人のニューギニア』 (有吉佐和子 著)

本の話WEB 6/20(月) 12:00配信

「パプアニューギニアに行きませんか」

 今から十二年ほど前、月刊誌『旅』の編集長から声をかけられた。地球上に残された最後の秘境だという。かの『地球の歩き方』にもインドネシア編にかろうじて載っているだけ。「ニューギニア島には高度四〇〇〇メートルの山々が連なる」と書かれている。

「ゲーッ! また四〇〇〇メートルの山に登るの!」思わず叫んだ。というのもこの年の六月に会社の仕事で「マカ」の原産地視察のためペルーの標高四八〇〇メートルにあるマカ畑に登って悲惨な目にあったばかりだったのだ。

 しかし祖母斎藤輝子の血が流れている私は二つ返事で引き受けた。輝子は歌人斎藤茂吉の妻であり、茂吉の死後、世界一〇八カ国を旅行したスーパーばあさんである。その豪快な生涯について、孫の私は『猛女とよばれた淑女』に記した。

 現地を訪れた輝子から届いた絵葉書でパプアニューギニアという地名を私が知ったのは小学生の頃だ。裸の黒人達が大きな羽飾りをかぶり、鼻に穴を開けて白い棒を突き刺して踊っている姿は子供には恐ろしい。そのけったいな絵葉書には「世界中より見物客がニューギニアに来ているのでホテル満員。ティーチャーズ・トレーニングの寄宿舎に泊まる始末です。足の痛みあり。ニューギニア・ゴロカ。斎藤輝子」と書かれていた。

 その後、私が会社に入社すると、PR誌の仕事で文化人類学者・西江雅之さんにインタビューしたことがある。パプアニューギニアの話が出て、今の時代でも未開の地で暮らしている人がいて、言語も解明されていない場所があると聞いて驚いた。西江先生の家には布団も枕もなくて、ゴロリと横になって寝る生活で、電気炊飯器もなく、家にはたくさんの槍が飾られていてニューギニアの話以上に仰天したことがあった。

 前置きが長くなったが、ニューギニアに行く機上で読んだのが『女二人のニューギニア』という本だった。

「私がニューギニアに行くと言いだしたとき、そんな無謀なことはよせ、お前には無理だと言って止めてくれるひとが一人もいなかったのは何故だったのだろう」という書き出しで始まるこの本の著者は、べストセラー作家の有吉佐和子さん。彼女が三十代後半の頃の体験記である。

 現地でフィールドワークをしている文化人類学者の友人畑中幸子さんに叱咤激励されながら、文字通りこけつまろびつして密林を彷徨する。それは悲惨を通り越したような有様なのだが、まさに抱腹絶倒の描写が続く。小説家の文章の力は恐ろしい。

 そもそも、有吉さんがニューギニアに行く発端は、旧知の畑中さんと何年ぶりかで出会ったのがきっかけである。

 畑中さんが、「東京は騒がしゅうてかなわん。早うニューギニアへ帰りたい。ニューギニアは、ほんまにええところやで」と語る。

「そんなにニューギニアっていいところ?」

「うん、あんたも来てみない? 歓迎するわよ」

 インドネシアに行く仕事のあった有吉さんは近いと言われうっかり訪問を約束してしまったのである。ゴルフですら歩けなくてダウンしてしまう有吉さんを待ち受けていたのは想像を絶するジャングルの登山。何時間も樹海の中をよじ登り、ぬかるみを滑り落ち、全身泥だらけ。木を斧でなぎ倒してキャンバス布を張った上に寝る。翌日も延々ジャングルを歩き、ぬかるみで滑り落ち、川の中を歩く。二日目は大蛇を捕まえて、蒸し焼きにした夕食が出される。

 ついに有吉さんは体力を消耗し、気絶してしまうのである。すると現地の人達は木を伐り倒し、有吉さんを蔓草で縛りつけて運び始める。つまり、仕留めた野豚をかつぐのと同じ要領でかつぎあげたのである。

「彼は一声、雄叫びをあげた。シシミンたちが、一斉に和した。アイヤッ、アイヤッ、アイヤッ、アイヤッ、アイヤッ……。この調子も声の高さも、活字では読者に伝えられないので残念である。それはまさしく奇声であり、音頭であり、獲物を得たときの喜びであった。私は仰向いた形でかつぎあげられていて、彼らの顔は見えなかったが、このまま彼らの部落で丸焼きにされるのではあったとしても、自分で歩くよりはずっとましだと思っていた。すぐ顔の上を、熱帯樹の枝が葉が、飛ぶように過ぎて行く」

 私も極楽鳥を探しに登山をした。そこには確かに手つかずの大自然が広がっていた。いま思えば白日夢のようだが、有吉さんのこの本を読み返すと、何故か底知れない力がわき、会社生活でつまらぬ事にくよくよする自分がばかばかしく思えるのだ。

 ◇ ◇

『女二人のニューギニア』 (有吉佐和子 著) 朝日新聞出版

文:斎藤 由香

最終更新:6/20(月) 12:00

本の話WEB

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