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「今の映画界では第二のショーケンさんは絶対に生まれない」ーー三浦友和『葛城事件』インタビュー

リアルサウンド 6/21(火) 18:33配信

 父親として、上司として、そして時にはヤクザの親分として。近年の日本の映画やドラマの秀作において、三浦友和は「作品の重し」としてのその世代(60代)の役者において最もエッジの効いた存在感を放ってきた役者と言っていいだろう。現在公開中、赤堀雅秋監督の『葛城事件』は、そんな2010年代の“新しい三浦友和”像を決定づける傑作だ。本作で三浦が演じているのは、原作の舞台(THE SHAMPOO HAT)では作・演出の赤堀監督自身が演じていた主人公。精神を病んでいく妻、会社からリストラされる長男、そして無差別殺傷事件を起こして死刑囚となる次男、そんな目を背けたくなるほど悲惨な状況に陥っていく家族の中で、ただ一人正気を保ち続けているように見えて、実はすべての元凶とも言える狂気を体現した“一家の主”を演じている。

 70年代生まれの自分は、三浦友和が日本を代表する“青春スター”であった時代をギリギリ記憶している世代だ。当時、自分の世代よりちょっと上の男たちは誰もが、ショーケン(萩原健一)、松田優作、原田芳雄といったアウトローの映画スターたちに憧れていた。そんな時代に “清く正しく美しい青年像”を引き受けざるをえなかった三浦友和は、自分と同世代の無頼派ヒーローたちをどのような思いで見つめていたのか? メジャー作品から(本作のような)インディペンデント作品まで、正義漢から(本作のような)極悪な役まで、日本映画界において満を持して縦横無尽に活躍するようになった今だから語れる、積年の思いとこれまでの歩みについて語ってくれた。

■「赤堀監督ほど具体的な指示を出さない監督に出会ったのは初めてでした」

ーー今年は本当に日本映画が充実している年でーー。

三浦友和(以下、三浦):はぁ、そうですか。

ーーはい(笑)。で、そんな中でも、『64 -ロクヨン-』、そして今回の『葛城事件』で示された三浦友和さんの存在感は特別で。今や三浦さんは、メジャー作品、インディペンデント作品問わず、日本映画界全体を支えている、その世代を代表する役者だというのが自分の認識です。

三浦:ありがとうございます(笑)。

ーー『葛城事件』に感銘を受けたのは、観客の共感を最初から拒絶しているところで。日本映画でそれをここまでやりきっている作品ってなかなかなくて、それはこの主人公を三浦さんが演じているからこそ可能だったと思うんです。

三浦:いや、それはあのホン(脚本)を書いた監督の問題ですよ(笑)。舞台では監督自身がやられていたわけですしね(THE SHAMPOO HATが2013年に上演した『葛城事件』の作、演出、主演は赤堀雅秋)。お話をいただいた時に一番難しいだろうと思ったのは、そんなこの物語をゼロから作り上げて自身で演じていた監督の持っているイメージと、自分の持っているイメージに、ギャップが相当あるんじゃないかなってことでした。現場で、相当話し合いとかをすることになるんだろうなって。でも、そういうことはほとんどなかったんですよ。どうやら、監督と相性が良かったみたいですね(笑)。

ーー舞台はご覧になっていたんですか?

三浦:いや、見てないです。見てなくて良かったなって思いと、見ておいた方がよかったなって思いと、両方あったんですけどね。でも、実はつい最近、初めてちょっと映像を見たんですよ。新井(浩文。舞台では次男、映画では長男を演じている)くんが若葉(竜也。映画で次男を演じている)にDVDを貸していて、監督とみんなで一緒に飲み屋にいる時にそれを若葉くんが新井くんに返していて、その時に、お店のテレビで見てみようってことになって……。いやぁ、見てなくてよかったなって思いましたね(笑)。

ーー赤堀監督との“相性の良さ”というのは、具体的に現場ではどのようところで感じましたか?

三浦:役者を45年間やっていますが、赤堀監督ほど具体的な指示を出さない監督に出会ったのは初めてでしたね。今回の現場は、監督もそうですし、他の出演者の方もそうなんですが、とても穏やかでしたね。もちろんシーンによってはテイクを重ねることもあって、自分の場合は多くて5テイクくらい、人によっては20テイクくらいやっていたりしましたけど、そういう場合でも、誰も感情的になっていない。特に具体的な細かい指示がないままリテイクを重ねるというのは、役者にとって簡単なことではないというか、場合によってはブチ切れたりもするわけですけど(笑)。

ーー巨匠と呼ばれるような監督ならまだしも、赤堀監督は映画ではこれがまだ2作目ですしね。

三浦:でも、どのシーンも終わってみると「あぁ、何回もやってよかったな」って思えるんです。きっと、監督が求めているものがはっきりしていて、役者がそれに近づこうと素直に思える空気がそこにあるからでしょうね。基本的に、僕は映画って監督のものだと思っているので。きっと、そういう人が集まった現場だったということでしょうね。

ーーこれまで、そうじゃない現場もたくさん見てこられた?

三浦:いや、そうでもないです。ヒステリックなタイプの監督って、僕は苦手なんですよ。で、きっとそういうタイプの監督は、怒られるのが好きなタイプの役者を呼ぶんじゃないですかね。

ーー(笑)。

三浦:それは、この世界で長年やってきて本当に思いますね。

ーーまぁ、今となっては、三浦さんを怒れる監督というのも、かなり限られてくるとは思いますが(笑)。

三浦:いや、いろいろ人づてに話だけは聞くんですけど、自分はこれまでほとんどそういうワーワー言うタイプの監督とは一緒に仕事をしたことがないんですよ。

ーー今回の作品もそうですが、今や歳下の監督とお仕事をするのが普通になっているわけですが。

三浦:現場全員の中でもほぼ最年長ですよ(笑)。

ーーそれによって、やりにくくなったことってありますか?

三浦:わがままが言えない。

ーー逆に。

三浦:逆にじゃないですけど(笑)。でも、昔は「歳上なんだからなんとかしてくれよ」って思うこともありましたけど、最年長にもなると、歳下にキレたりするのはみっともないですからね。

■「濃い色を持っている監督と仕事をしたほうがおもしろい」

ーー昔はわがままを言うこともあった?

三浦:そりゃ、ありましたよ。20代の頃なんて言いたい放題でした。それに、70年代や80年代はそういうのが役者全体の中で流行ってたんですよ。ショーケン(萩原健一)さんとかが一番暴れていた時代ですから(笑)。

ーーそうですね(笑)。

三浦:あの当時は、そういうのがカッコいいとされていたんですよ。役者が言いたいことを言って現場を振り回す、そういうのがある種、ブームだったんですよ。男優だけじゃなくて、女優さんたちもわがまま放題だった。でも、今はそれだと通用しないですからね。

ーーでも、それは良い面と悪い面、両方あるようにも思うのですが?

三浦:そうです。だから、今の映画界では第二のショーケンさんは絶対に生まれない。いろいろ後になってから言われていますけど、ショーケンさんは天才でしたからね。「ああいう面倒くさい人は嫌だ」ってみんなが思うようになったことで、映画界で図抜けた人が生まれなくなってしまった。それは、マイナスの部分ですね。

ーー今回の『葛城事件』がまさにそうですが、今でこそ三浦さんはこうしてインディペンデント系の作品に出たり、そこで人間のダークサイドの部分を演じられたりしているわけですが、70年代は超メジャーな若手スターとして、品行方正なイメージが強かったですよね。そこには、ようやく役者として自分のやりたいようにやれるようになったという思いがあったりするのでしょうか?

三浦:自分が20代の頃は、言ってみれば、ショーケンさん、(松田)優作さん、原田芳雄さんの時代でしたからね。それは、そういう役者さんたちへの憧れはものすごくありました。自分が出ていた作品は、作品としてはメジャーだったかもしれませんが、文化としてはあの人たちこそがメジャーでしたからね。そういう憧れを持ちつつ、自分は別のところで仕事をしてきて、30代、40代となっていって、仕事があまりうまくいかなくなってきたことで、ローバジェットの作品の依頼がきたわけですよ。相米慎二監督の『台風クラブ』のようなね。そのあたりから、「俳優の仕事って実はすごくおもしろいじゃん」ってようやく思いはじめたんですよ。それまでは「やりたくて始めた仕事じゃないけど、やるからには真面目にやろう」って気持ちでやってましたから。俳優の仕事に対して、誇りを持って心から「おもしろい」と思わせてくれたのは、相米さんでしたね。もちろん、この仕事は「メジャー作品に出て、次はインディペンデント作品に出て」って、好きなようにできるほど甘い世界じゃないですし、基本的には声をかけていただく立場なわけですけど、個人的に、できれば作家性の強い監督、その人の色が濃く出ている作品を作っている監督と仕事をしたいと思うようになったのはその頃からですね。さっきも言ったように、映画は監督のものだと自分は理解しているので。その監督の持っている色を自分が好きとか嫌いとかではなく、俳優としては、濃い色を持っている監督と仕事をしたほうがおもしろいというのがわかってきたんです。

ーー20代の頃にショーケンさん、優作さん、原田さんのような役者に抱えていた憧れについて、もう少し詳しく訊かせてください。

三浦:憧れというか、自分はそういう役者にはなれないと思ってました。でも、あの方たちが作品で表現していた社会へのフラストレーションのような気持ちは、自分はすごくよくわかったから、心の中で「仕事としては全然違う場所にいるけれど、気持ちは一緒なんだよね」って思ってましたね。

ーー三浦さんは三浦さんで、大きなフラストレーションを抱えていた。

三浦:そりゃそうですよ。清く正しく美しくみたいな役って、やってる方はつらいんですよ。同性から「なんだアイツ」って思われているのはわかってましたから。

ーーあぁ、同性から憧れられるかどうかって、きっと大きいんでしょうね。

三浦:でも、そんな20代の日々があったから、今があるんだと思います。これまでのすべてのことが布石になっていて、今の自分がある。それも、最近気づいたことなんですけどね。

ーー三浦さんの役者としての転換点という点では、多くに観客にとって決定的だったのは、やはり北野武監督の『アウトレイジ』『アウトレイジ ビヨンド』だったように思います。

三浦:『その男、凶暴につき』の頃から北野監督の作品はずっと見てきていて、好きな作品も嫌いな作品もあるんですけど、自分はそうやってお金を払って北野武監督の作品を映画館に観に行って、ああでもないこうでもないと好き勝手なことを思ってるただのファンだったんですよ。「作品に出たい」というような期待を抱くこともまったくなかったから、声をかけていただいた時は本当にビックリしましたね。あまりにも驚いて、嬉しさがこみ上げてきたのはしばらく経ってからでした(笑)。

ーーキャストに三浦友和さんの名前を見つけた時に、その役がまったく想像できなくなったのは『アウトレイジ』以降です。

三浦:そうですか(笑)。

■「親っていうのは、反面教師でいいんだ」

ーー『葛城事件』に話を戻すと、自分はこの作品を、日本の家長制度、父権社会が崩壊しきった、その惨状をすさまじい強度で描いた作品だと思ったんですけど、三浦さんはどのようにテーマを解釈されていますか?

三浦:自分は違う見方をしています。この主人公は古き良きとされるタイプの日本の父親像とはちょっと違っていて、本当に家族を愛していて、それゆえに理想を強く持ちすぎていたんだと思います。「俺はこんなに家族を愛しているのに」と常に思っている。

ーーあぁ、家長制度が既に崩壊している時代だからこそ、理想を強く持たざるを得なかったってことですね。

三浦:そう。だからこそ、家族への思い込みと押し付けが異常に強くなって、それがどれだけ家族にとって迷惑なものかに気づけない。昔の父親って、怖かったし、亭主関白だったけど、押し付けることはなかったですからね。

ーー威厳があったから、押し付ける必要もなかった?

三浦:そうです。だから、ここで描かれているのは、とても現代的な父親像だと思いましたね。

ーーとても納得しました。三浦さん自身は、古いタイプの日本の父親像とも、本作で描かれているような父親像とも、また全然違うタイプの家長であるようにお見受けできるのですが。

三浦:自分の父親は警察官で、まさに古いタイプの日本の父親だったんですよ。今の社会からすると、本当につまらない、クズみたいな威厳を持っていた部分もあったし、わけのわからないことで怒ったりすることもあった。だから、自分にとってはそれが反面教師になったんですね。

ーーなるほど。

三浦:親っていうのは、反面教師でいいんだと。それは自分の子供に対しても思うところですね。だから、自分も子供に余計なことは言わないようにと、それだけは思ってましたね。ただ、自分の父親を否定したように聞こえたかもしれませんが、それはそれで家族というものが成立していた時代は確かにあったわけだから、そのこと自体を否定しちゃいけないと思います。時代に合わなくなったものがあれば、それは自分たちで変えていけばいいだけで、過去を否定する必要はないんですよ。

ーーただ、本作の主人公にもちょっとそういう傾向がありますが、古いタイプの日本の成人男性って、飲食店とかで驚くほど横柄な態度だったりしますよね。昔はあれで許されていたのかもしれないけれど、ああいうのはちゃんと全否定していかないとと思います。

三浦:いやいや、それは古いタイプとか関係ないです。いつの世にも一定数、そういうヤツはいますよ。

ーーあぁ、おっしゃる通りですね。

三浦:今回の役を演じる上で、「こういうヤツっているよね」っていうのを結構参考にしましたからね。いますよ、今でも。さすがにその場で立ち上がって注意したりはしませんが(笑)。そういうヤツを見る度に、会社の中だったり、家庭の中だったりで、相当嫌われているんだろうなって思うだけですね。

ーーその集合体が今回の主人公(笑)。

三浦:そうですね。そうやって、客観的に周囲を見るような癖は昔からあって、それはこの仕事に役立っているように思います。

宇野維正

最終更新:6/21(火) 18:33

リアルサウンド

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