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夏号読破で気づいた「今の変化」を象徴するキーワードとは

会社四季報オンライン 6/22(水) 20:16配信

 先週発売された「会社四季報」夏号を読み終え、これで四季報完全読破は通算19年目、75冊目となった。今回の夏号は四季報創刊80周年記念号となるため、表紙には創刊号の写真が掲載されているが、これが80年の歴史を感じさせるものとなっていて、私にとってはいつも以上に気合いが入る一冊となった。

 あらためて四季報の「強み」を整理すると、(1)全上場企業を1冊にまとめた「網羅性」、(2)80年の歴史がある「継続性」、(3)80年前に年に4回の発行とした「先見性」の三つが挙げられる。

 そしてこのような斬新な会社四季報が、なぜ80年前に生まれたのかについては、創刊号の巻頭に書かれている「本書発刊に就て」の内容が参考になる。

 ポイントをお伝えすると、「生きた会社要覧を提供しよう」という意図のもと、「会社は生きたものであり、投資的対象として株式会社を見る場合には、日々刻々の息吹を知る必要がある」ため、「年に一回しか発行されぬ便覧では不十分で、三ヶ月毎に刊行する『会社四季報』を作った」という流れのようである。

 その80年前の1936(昭和11)年とはいったいどんな年で、株式市場がどういう状況だったのかも気になるので簡単に振り返ってみたい。同年のいちばんの出来事は、何といっても創刊4カ月前に起きた2.26事件である。事件の要因を金融の切り口だけからまとめると以下のとおりだ。

 時代は大正時代中期にさかのぼるが、第1次世界大戦の復興需要が一服したところに関東大震災が襲い、その震災手形の処理問題から大企業や銀行が破綻、「昭和金融恐慌」に突入した。ここに1929年のニューヨーク株大暴落から始まった世界恐慌が重なり「昭和恐慌」へとつながっていく。

 この時の金融政策は金輸出解禁という円高・緊縮財政の「デフレ政策」だったが、その後登場した高橋是清蔵相は、金輸出再禁止という円安・積極財政に加え、日銀の国債引き受けという、それまでとは真逆の「リフレ政策」を主導し、日本経済は世界で最も早く不況を脱した。

 しかし1933(昭和8)年ごろから景気回復によるインフレの芽が出始めたため、高橋蔵相は出口戦略を模索。軍事費の削減に着手しようとした。海軍に比べ元々予算が少なく不満の溜まっていた陸軍がこれに反感。高橋蔵相は陸軍の凶弾に倒れた──。

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最終更新:6/23(木) 16:51

会社四季報オンライン

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