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朝日新聞若宮啓文氏を悼む その5 見事な“反面教師”朝日新聞に問う

Japan In-depth 6/25(土) 11:00配信

私は以上のような若宮啓文氏への批判や質問の記事類を長年にわたり書いてきた。しかるべき公開の場で発表してきた。

朝日新聞では主筆や論説主幹といえば、ともに新聞の論調をつかさどる責任者である。だから若宮氏の在社中は私は同氏の名前をあげて、その名で発表した紙面上の記事に対して疑問や批判を呈してきた。明確な質問状と呼べる雑誌の論文もあった。

しかし残念ながら若宮氏は私の批判には反応してくれなかった。一度だけ若宮氏が東京都内の大学での講演会で私の名前をあげて、反論めいた発言をしたという簡単な記録がインターネットに載っていた。だがそれだけだった。しかしやはり私の批判は知っていたことだけは確認できた。

若宮氏が亡くなった今、私がこうして追い打ちのような批判めいた一文を書くことも死者の霊に鞭打つような非礼な面があるかもしれない。しかし今の私の一文はあくまで朝日新聞の言論の代表だった若宮氏への批判であり、朝日新聞そのものへの問いかけだともいえる。

若宮氏のコラム記事などに対して表明した「情緒の過多と論理の欠落」「論敵の悪魔化」「現実の無視と歴史の悪用」「日本という概念の忌避」そして「日本不信」という特徴はそのまま朝日新聞全体の長年のあり方にあてはまるからだ。

だから私がここで書いてきた指摘の数々も、とくに若宮氏だけに限らず、朝日新聞全体の言論性に責任を有する人であれば、他のどなたにでもぶつけたい公開質問状に等しいといえる。

ただし最近、一度だけ、私は若宮氏のジャーナリストとしての身の処し方を論評する機会があった。2012年5月に週刊文春が若宮氏が論説主幹だったときの中国出張をめぐる状況を醜聞ふうに取り上げた際、同じジャーナリストとしての感想を求められたのだ。

私は、彼のその中国訪問の経費や同行者にはなんの知識も関心もなかったので、その部分へのコメントは差し控えたが、その訪中の理由が「中国政府関連団体が若宮氏の著書の出版記念パーティーを開くために同氏を招いた」とされていた点には驚いたので、自分の考えを述べた。

中国政府といえば、世界でも最悪の言論弾圧機構そのものである。政府関連団体も共産党の指令で動く一枚岩の組織である。言論の自由を最大に尊重するはずの日本の言論人がその言論弾圧機関から自らの言論活動を祝ってもらうために、わざわざ中国にまで出かけていくというのは気味の悪いジョークのように思えた。だからそのとおりの感想を述べたのだった。

若宮氏の訃報が載った朝日新聞は「若宮さんと交流の厚かった趙啓正・元中国国務院新聞弁公室主任(閣僚級)からの悼みの言葉」をも掲載していた。趙啓正氏といえば中国共産党の対外宣伝の大物であり、私が北京に駐在していた時期は現役のばりばりとして内外のメディアを監視し、統制していた。こういう人物と親しく、気に入られるというのは若宮氏の人柄や人徳のせいかもしれないが、少なくとも私には考えられない「交流」だと感じた。

ここであえて繰り返すが、若宮氏への追悼の思いに素直に駆られて書き始めたこの文章も生前の同氏の言論への批判がほとんどとなったが、彼個人の言論だけの批判では決してないのである。批判の対象はあくまで朝日新聞全体なのだ。

私は朝日新聞の特殊な傾向については遥か昔から体験し、目撃し、指摘し、批判してきた。その考察は単行本だけでも『朝日新聞の大研究』(稲垣武、井沢元彦両氏との共著 2002年、扶桑社)、『朝日新聞は日本の「宝」である』(2014年、ビジネス社)、『なにがおかしいのか? 朝日新聞』(2014年、海竜社)と、3冊によって発表してきた。

このうちの一冊で朝日新聞を皮肉にせよ、「日本の宝」と呼んだのは、わが日本が国の運命を左右する分岐点に立ち、選択に迷ったときは、朝日新聞の主張をみて、その正反対の道を選べば、だいたいは成功するから、「宝」としての価値があると主張したことが理由である。

日本が戦後の独立を果たすとき、朝日新聞はソ連や共産圏諸国を含めた相手との「全面講和」でなければだめだと主張した。日本はその道とは反対の「多数講和」の道を選んで戦後の平和や繁栄を得た。

日米安保条約に対しても朝日新聞は事実上の反対という立場をみせた。だが日本は日米安保条約を結んで、機能させ、戦後の平和と安定を得た。戦後の日本にとっての二つの最大の選択に関して朝日新聞は見事な反面教師となったわけである。日本の国家と国民が朝日新聞の求める選択肢を拒んだことによる戦後の日本の飛躍だったともいえる。

日本は今やまた憲法改正や安全保障政策の根本的改変など大きな選択を迫られつつある。朝日新聞はその改変への反対キャンペーンを打ち上げている。日本が日本らしく、そして国家らしく進もうとすることへの激しい反対だともいえる。そんな体質の朝日新聞の主張を最近までのある時期、代表してきたのが若宮啓文氏だった。

だから私のこの一文は若宮氏個人への批判ではなく彼が代表した朝日新聞全体への問いかけだとみなすのが自然に思える。とはいえ68歳で唐突に逝った若宮氏にはまだまだ活躍してほしかった。私の質問状にも答えてほしかった。だがその機会はついに得られなかった。若宮啓文氏のご冥福を心からお祈りしたい。

(了。その1、その2、その3、その4。全5回。この記事は雑誌月刊「WILL」2016年7月号からの転載です)

古森義久(ジャーナリスト・国際教養大学 客員教授)

最終更新:6/25(土) 11:00

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