ここから本文です

【休日達人01】「一人茶会」で自分をもてなす/山口浩さん(駒澤大学教授)

サライ.jp 6/25(土) 12:10配信

独自の趣味で人生を楽しんでおられる方を紹介する【休日達人】。第1回は「一人茶会」を趣味にする駒澤大学グローバル・メディア・スタディーズ学部教授の山口浩さんです。

■「自分が楽しむため」の一人茶会

茶道と聞いて、どんなイメージが浮かぶだろうか。日本の伝統文化、千利休、厳格、流派、作法、お点前……など、人によってそのイメージもさまざまだろう。

茶道は「茶湯(ちゃとう)」や「茶の湯」とも呼ばれ、古くからお茶を楽しむために行なわれてきた。そして、千利休によって侘び茶が確立され、以後、さまざまな流派によって今日まで受け継がれてきている。

だがそんな正統的な茶道とは距離をおいて、独自の「一人茶会」を楽しむ休日達人がいる。駒沢大学グローバル・メディア・スタディーズ学部教授の山口浩さんだ。

「元々いろいろなお茶が好きだったんですが、茶道は敷居が高いし、正座をしなくちゃいけない、というのもあってずっと避けていたんです。でも、あるとき『給湯流茶道』という茶会に参加して、別に流派に従ったり、正座をしたりしなくてもいい茶道もあるんだと知って、やってみようかなと思いました。

とはいえ、茶道は基本的におもてなしの文化。もてなすお客さんがいて成り立つものなので、飲みたかったら誰かに点(た)ててもらわなくちゃいけない。ふだん、そういう相手を見つけるのはなかなか難しいし、いたらいたでその人の好みにも配慮しなきゃいけない。

でも、そんなことでお茶を楽しむ機会が減ったり、自分の好みでないお茶になったりしまうのはもったいない。それで、おもてなしをするのが茶道ならば、自分で自分をおもてなしすればいいんじゃないかと思ったのです」

山口さんの思いはただ「お茶をおいしく飲みたい」。それだけだ。茶道は作法を教えてくれるが、「おいしいお茶の点て方」についてはそれほど詳しく教えてくれるわけではないし、作法を守ったからおいしくなるとも限らない。もっと気軽にお茶を楽しめたらいいのに――という思いから一人茶会は始まった。

茶道を自己流で楽しむ発見をしたことで、山口さんにとっての「お茶を飲むこと」に何か変化はあったのだろうか。

「一人茶会を始めて2年ほど経ちますが、お茶を飲むということに関しては日常の習慣なので特に変わったことはありませんね。毎日コーヒーや紅茶、日本茶なども飲みますが、それと基本的には同じです。旅先でも自宅でも学校でもどこでも、お茶が飲みたいと思ったら、場所や時間は問いません。

ただ『茶会』と称する以上、お茶を点てて飲むことに対しては真剣に取り組みたい気持ちはあります。その日のテーマのようなものを決める日もありますし、今日みたいに気持ちいい初夏の日は、こうして公園でお茶を点てることもあります。まあピクニックみたいなものですが、『お茶を飲みながら季節の移り変わりを愛でる』という意識は明確にあります」

自己流で始めた一人茶会だが、同時に茶道の稽古にも通うようになったという。茶道の格式や堅苦しいことがイヤで始めた一人茶会だったはずが、なぜ改めて茶道も始めることになったのだろうか。

■基本を知ることで世界が広がる

「基本を知っておくのが大切だと思ったんです。長年かけて確立された世界を知ってから、それを崩すのと、知らないでやるのとではまったく違いますので。

私が習っているのは遠州流で、簡略化されていない古い点前がそのまま残っていたり、さまざまなところに武家らしい特徴が出ていたりして面白いですが、どの流派でも、時間をかけて練り上げられたやり方にはそれなりの意味や合理性があるでしょう。

それに、茶道はお茶を点てるだけじゃなくて、その周辺にあるさまざまな日本の伝統文化に触れるきっかけをつくってくれます。たとえば和菓子には季節に合わせてテーマがありますが、それを少しでも知っていれば、いつ、どこで、どんな和菓子を組み合わせるかを考える楽しみが急に広がるんですよ。

今日用意した和菓子は、近所のお店で買ったおまんじゅうで、特に有名な銘菓というわけではありませんが、清流にいるお魚の模様がついています。それだけで涼し気な印象になりますよね」

基本を学ぶことで、楽しみ方のバリエーションが増えてきたのも楽しいと語る山口さん。知れば知るほど、お茶はもちろん、茶道具などにもこだわりたくなってくるのでは?

「茶道の周辺にある日本の伝統文化はどれも奥が深くて、まだまだ知らないことだらけですが、少しでも知れば、知った分だけ楽しみは広がります。茶道具も、伝統文化ですから骨董品レベルのものとか、お金をかければキリがないのですが、お金をかけないで楽しめる方法もあることを知ったのは大きいですね。

人をおもてなしする場合だと、『こう見えても安くていいですよ』とはなかなか言いづらいじゃないですか。でも自分一人で楽しむならそういう見栄は不要ですから、自分が好きなものに対して素直に『いいよね』と言える。

たとえば、今日使った茶碗はネットオークションで500円で落札したものですが、とても気に入っています。内側に三角形の山のような絵柄があるので、勝手に『三角山(みすみやま)』という銘を付けました。

三角山というのは、鳥取県にある山です。平安時代の歌人である在原行平(ありわらのゆきひら)は、有名な在原業平の兄にあたる人ですが、この人が因幡国(いなばのくに/今の鳥取県東部)の国司に任じられ、任地に向かう際に詠んだとされる、

《ゆく先を みすみの山を 頼むには これをぞ神に 手向けつつゆく》

という歌があって、それがネタ元です。

道具にこだわると、どこまでも高い物があって、そうした道具を手に入れるのもお茶の楽しみのひとつでしょう。でも、いわゆる『銘』というのは、自分がいいと思った物に名前を刻むということなので、数百円の物でも、気に入ったら自分で銘をつけてしまえばいいんですよ。

その道具の特徴とか、それを使っているときに起きたエピソードなどを元にする場合もあるし、『歌銘』といって短歌を銘にするやり方もある。歌も昔からある和歌をあててもいいし、自分でオリジナルのものを詠んでもいい。そうやって頭をひねっている時間は、お金はかかりませんがとても豊かだと感じます」

■「初心者になれる」ことの新鮮な喜び

千利休が新しい茶道を確立したのは61歳だったというが、50歳から一人茶会を始めた山口さんにとって、茶道は何をもたらしたのか。

「50歳を過ぎると、何か新しく始めたり、学んだりする機会がだんだん減ってくるんですよ。自分から動かなければ、誰も何も教えてくれない。職場でも誰も注意してくれなくなるし、それまでの経験でなんとかやっていくことが多くなるでしょう。だから、こうしてまったく未知の世界に飛び込んで“初心者”になることは、とても新鮮な体験で楽しいです。

また、勉強や修業も義務になってしまうとつらいでしょうが、楽しんでやるならむしろ大歓迎。しかも、この歳になると、若いころにはあった『やるからにはうまくならないと』といった気負いもあまり感じずにすみます。下手くそでも恥じる必要などない、構えずどんどんやってみればいい、という図々しさも身についてくる(笑)。50代ならではの楽しみ方を覚えた感じですね」

山口さんが好きだという『徒然草』には、こんなくだりがある。

能をつかんとする人、「よくせざらんほどは、なまじひに人に知られじ。うちうちよく習ひ得て、さし出でたらんこそ、いと心にくからめ」と常に言ふめれど、かく言ふ人、一芸も習ひ得ることなし。(『徒然草』百五十段より)

<現代語訳>
これから芸を身につけようとする人が、「下手くそなうちは、人に見られたら恥だ。人知れず猛特訓して上達してから芸を披露するのが格好良い」などと、よく勘違いしがちだ。こんな事を言う人が芸を身につけた例しは何一つとしてない。

元々この一節は「芸事は恥ずかしがらずどんどん人前に出て恥をかいた方が上達する」ぐらいの意味だが、山口さんはこれを、「下手でも気にするな」という教えとしてとらえている。第一歩を踏み出すことを恐れず、人前で恥をかくことを厭わず、真剣に、でも構えずに楽しむことが重要、ということだ。

自慢することが目的でなければ初心者でも恥じることはないし、「道」として取り組むのでなければ「守破離」にこだわる必要もない。こうした自由な発想が趣味を心から楽しむための原点なのかもしれない。

■山口浩(駒澤大学グローバル・メディア・スタディーズ学部教授) 1963年生まれ。東京都立大学(現・首都大学東京)法学部卒。博士(経営学)。現在駒澤大学グローバル・メディア・スタディーズ学部教授、国際大学グローバル・コミュニケーション・センター上席研究員。著書に『リアルオプションと企業経営』、共著に『金融・契約技術の新潮流と企業の経営戦略』ほか多数。インターネットの普及が人間行動と社会構造にもたらす変化に早くから注目しており、提言は多分野に渡っている。

取材・文/成田幸久
写真/大井成義

※ あなたの周りの「休日達人」を教えてください。情報は serai@shogakukan.co.jp まで。

最終更新:6/25(土) 12:10

サライ.jp

TEDカンファレンスのプレゼンテーション動画

北朝鮮からの脱出
北朝鮮での幼少時代、『ここは地球上最高の国』と信じていたイ・ヒョンソだったが、90年代の大飢饉に接してその考えに疑問を抱き始める。14歳で脱北、その後中国で素性を隠しながらの生活が始まる。 これは、必死で毎日を生き延びてきた彼女の悲惨な日々とその先に見えた希望の物語。そして、北朝鮮から遠く離れても、なお常に危険に脅かされ続ける同朋達への力強いメッセージが込められている。