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人と人と、歌と歌を重ねることによってふと見えてくるものがあるんですよね――北村薫(1)

本の話WEB 6/26(日) 12:00配信

北村薫(きたむらかおる)

1989年『空飛ぶ馬』でデビュー。1991年『夜の蝉』で日本推理作家協会賞を受賞。2009年『鷺と雪』で直木賞を受賞。2016年日本ミステリー文学大賞受賞。主な小説に『秋の花』『六の宮の姫君』『朝霧』『スキップ』『ターン』『リセット』『盤上の敵』『中野のお父さん』など。また、評論、エッセイも多数発表。最新刊は『うた合わせ 北村薫の百人一首』。

――今年は日本ミステリー文学大賞の受賞、おめでとうございます。…といいつつ、現在の最新刊はミステリーではなく、『うた合わせ 北村薫の百人一首』(2016年新潮社刊)なので、そのお話からがよいのかな、と。これは現代短歌をふたつずつ並べてその解釈を楽しむ内容。解釈の面白さに加えて、改めて豊富な知識に圧倒されました。

北村 まんざら馬鹿じゃないんですよ(笑)。歌と歌のスパークが面白いでしょう。『NHK短歌』では冒頭に写真と短歌のスパークをやっていますし、さらにいえば本と読む人の間にもスパークがある。表現というものに何かが加わることによってスパークする、その部分が鑑賞であり〈読み〉である。それこそが本の存在する意義ですよね。そのひとつとして今回は、人と人と、歌と歌ということで「うた合わせ」をやりました。

 それを重ねることによってふと見えてくるものがあるんですよね。たとえば、今回いちばん最後に置きましたけれど、三井ゆきさんの「覚えてもゐぬことを思ひ出さむとす君を包みし火の色などを」と佐佐木幸綱さんの「泣くおまえ抱(いだ)けば髪に降る雪のこんこんとわが腕(かいな)に眠れ」という歌があったのは非常に嬉しかったですね。「おまえ抱けば」「思ひ出さむとす」と、たまたまだけれど「イダ」という音が通じていたり、「火の色」に対して「雪」があったりね。私の目からすると、不思議に歌たちが、「並べてくださいよ」と言っているかのように思えてくるんですね。三井さんの悲痛な歌の隣に「こんこんとわが腕に眠れ」というのを置くという。そういう歌あわせをいちばん最後において、真ん中あたりには三井さんの旦那さんの髙瀬一誌さんの「うたうように歩いて来るのが夫ですと説明してから妻が手をふる」という歌がある。

――私は恥ずかしいほど短歌に詳しくないのですが、読みながら、このお二人がご夫婦なのか、などと歌人と歌人の繋がりを知るのも面白かったです。

北村 あえて書いていない部分もあります。たとえばこの中で、石田比呂志が秋津新町に流れ着いたけれど町名が変更になって「秋津」という地名を失った話を書いています。でも、石田比呂志の奥さんが阿木津英だったということや、彼の死後に彼の本をまとめたのが阿木津だったということは書く必要がないからか書かなかったんです。これが論文や評論であったら書かなくちゃいけないことなんだけれども、私は書く必要を感じなかった。分かる人だけに分かればいいことなので。

 他にはたとえば、髙瀬一誌さんが亡くなった永井陽子さんの日記を見て「「東京のおとうさん」と日記にありしかおとうさん怒りぬ」と、なぜ逝ってしまったのかと怒る、ということも書きましたが、永井陽子は自ら死を選んだと知らないと、高瀬のなぜ言ってくれなかったんだ、なぜ相談してくれなかったんだ、という思いは理解できない。でも私はそれを書きたくなかったから書きませんでした。マニュアル本であれば当然必要なことですけれど、表現というものはそんなものじゃない。

 すべてを語っちゃったら、表現でなくなりますよね。よき表現というものはすべてを語っているわけではない。夏目漱石だってなんだって、いつまでも新しい“読み”が出てくるのは、語られていないところがあるからであって。だからこそ、何年経っても新しいものが見えてくるし、そこが膨らみなんだという。

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最終更新:6/26(日) 12:00

本の話WEB

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