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入院中の夏目漱石に「こんにゃく湿布」の荒療治が迫り来る!

サライ.jp 6/28(火) 7:10配信

今から106 年前の今日、すなわち明治43年(1910)6月28日、東京・内幸町の長与胃腸病院に入院中の漱石は、明け方の浅い眠りの中で雨音を聞いていた。起床は、いつものように午前5時だった。

この日で、入院からちょうど10日目を迎えていた。病院への第1回の支払いとして漱石は41円25銭を払った。一等病室の室料が、1日3円50銭かかるのだった。

治療のため飲み続けていた硝酸銀は、今日からは飲まなくてよいことになっていた。病人としてはほっとするところだが、数日後には、次段階の治療として蒟蒻(こんにゃく)湿布を始める予定となっていた。漱石には、そのことはまだ告げられていなかった。あつあつに熱した蒟蒻を腹の上にのせて胃の中を蒸すというこの治療は、現在でも民間療法として受け継がれているが、漱石の時代に実践されていたものは、今よりかなり荒っぽかったのだろう。腹の皮膚に火ぶくれができるほどの荒療治であったという。

昼頃、門弟の小宮豊隆と安倍能成が見舞いにきた。漱石は近くの日比谷公園内にある松本楼から出前をとって西洋料理を馳走した。

日比谷松本楼は、日比谷公園が日本初の洋風近代公園として開園した明治36年(1903)に開業。その4年後に書いた小説『野分』の中にも、漱石は松本楼を「公園の真中の西洋料理屋」として登場させ、主人公たちを「眺望のいい二階」へ陣取らせ、鮭フライとビフテキに舌鼓を打たせている。

出窓のある洋風3階建ての建物は、関東大震災で倒壊し、太平洋戦争後は米軍に接収されたりもしたが、現在も営業を続けている。

小宮豊隆と安倍能成が西洋料理の出前を満喫して帰ったあとも、漱石の病室には夕方にかけて、東京朝日新聞の渋川玄耳や坂本雪鳥を含む4人の見舞い客が訪れた。

就寝したのは夜9時過ぎ。

しばらくすると、大きな地震があって目が醒めた。

揺れは、しばらくの間、続いていた。ようやく揺れがおさまった頃、街路を行く電車の音がかすかに聞こえてきた。辺りの様子からして、深夜12時頃かと想像してみる漱石先生だった。

■今日の漱石「心の言葉」
健康な人は行住坐臥ともにわが身体の存在を忘れている(『野分』より)

Web版「夏目漱石デジタル文学館」
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館。同館のサイトに特設されている「Web版 夏目漱石デジタル文学館」では、漱石自筆の原稿や手紙、遺愛品、写真など漱石にまつわる貴重な資料画像を解説付きで公開しています。

県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。

最終更新:6/28(火) 7:10

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