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Pファンク、バーニー・ウォーレル逝去:"鍵盤の魔術師"が音楽界へ遺したもの

ローリングストーン日本版 6/28(火) 16:00配信

ロックの殿堂に名を刻み、トーキング・ヘッズの非公式メンバーも務めたバーニー・ウォーレルが72歳で死去。



バーニー・ウォーレル。パーラメント/ファンカデリック、トーキング・ヘッズのキーボード奏者で、ロックの殿堂入りも果たした彼は、米国時間6月24日の夜死去した。享年72歳。がんの治療中だった。

「バーニーは、ここから大いなる魂の許へと旅立ちました」と、24日、ウォーレルの妻、ジュディはフェイスブックに書いた。「安らかに眠ってね、私の愛する人。あなたは間違いなく世の中をより良い場所にしたわ。再び会う日まで、神と共にあらんことを」。

ジョージ・クリントンはビルボード誌に対し「とても大きな喪失感だ」と語っている。「音楽の世界は変わり続ける。だが、バーニーがファンクだけじゃなく、ロックやヒップホップに遺した影響と献身は、永遠に感じることができるだろう。バーニーは、親しい個人的な友人で、一個人として悲しんでいる。Pファンクは、この悲しみに際して、彼の家族とファンと共に喪に服す。世界はバーニーを失って、少し暗く、少しファンキーでなくなった」。

この1月、ウォーレルは"軽度"の前立腺がんとステージ4の肝臓がんと闘っていることを明かした。その時、ウォーレルの妻ジュディは、最後のアルバムとなる『Retrospectives』を彼の存命中に完成させられるよう、ファンに1万ドルの寄付を募った。Webサイト"YouCaring"でも、ウォーレルの医療費の金銭的負担を軽くするために、7万5千ドルの寄付が募られるところだった。

バーニー・ウォーレルの生い立ち

ニュージャージー州のロング・ブランチで1944年に生まれ、ジュリアード音楽院で学んだウォーレルは、70年代初頭にパーラメントという名の当時のドゥワップ・ユニットのリーダー、ジョージ・クリントンと出会った。その後すぐに、ギタリストのエディ・ヘイゼル、シンガーの"ファジー"・ハスキンス、そして"ビリー・ベース"・ネルソンのいたクリントンのパーラメント/ファンカデリックのメンバーと共に、デトロイトに移動して、1970年のファンカデリックのデビューという大仕事をやり遂げた。5ヶ月後、『フリー・ユア・マインド』をリリースする。


バーニー・ウォーレルが5月22日の"モーグ・フェスティバル"で自身のキーボードを配置する姿。そこでの軽い演奏が、Pファンクの伝説の男による最後のライブ・パフォーマンスとなった。(the1point8 for Rolling Stone)

"鍵盤の魔術師"の異名を持つウォーレルは、ファンクに未来的なサウンドをもたらしたとして名声を得た。「テクノロジーそのものにはあまり興味はなかったんだが、ボストンのニューイングランド音楽院の学生だった頃、エマーソン・レイク&パーマーをよく聴いていたんだ。アルバム『タルカス』が好きでね。キースが初めてだったんだ、モーグを使っているのを私が聴いたのは。アルバムのサウンドと、彼がその楽器を使ってやっていることが好きだったんだ」とウォーレルはミュージック・レーダー誌に語っている。「それがモーグ・シンセサイザーだとわかって、それからしばらくして自分のミニモーグを買ったんだ。いや買ったのはジョージだったかな。そこからそのサウンドとの格闘が始まった。私がやったのは、欲しい音が出るまでノブを回し続ける。それだけさ」。

ウォーレルの公式サイトでは、この楽器の実験について次のように語っている。「シンセサイザーが登場した時、私はクラシック音楽畑で育ってきたし、オーケストラのすべてを知っていたんだ。ティンパニーやら何やら、すべてだ。私はそれがどんな風に響いて、どう感じられるかがわかっていた。だから、ホーンやストリングスのアレンジをキーボードでプレイすれば、ストリングスやホーンに聞こえる。つまり私はどんなフレーズにすれば良いか、ストリングスであればどんなフレーズになるか、ホーン、トランペット、サックス、トロンボーンのアパーチュアからのアタックがどう違うかが分かっていたんだ」。

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最終更新:6/28(火) 16:00

ローリングストーン日本版

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