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4-4-2の“天敵”、バルサスタイルの出現。隙間でのポゼッション。反定立としてのアトレティコ【西部の4-4-2戦術アナライズ】

フットボールチャンネル 6/29(水) 10:20配信

 アトレティコが躍進して以降、復活の感があるフラットな4-4-2システム。だが、昨今各国リーグで成果を上げている4-4-2は、以前のそれとは様相が異なっている。シメオネが導入した4-4-2はどのようにして登場したのか。4-4-2の“天敵”として現れたバルセロナ・スタイルの興隆を軸に、その経緯を紐解く。(文:西部謙司)

ゾーンの4-4-2にとっての“天敵”、バルサスタイル

 2008年のユーロで優勝したスペインは、2010年南アフリカW杯でも優勝。さらにユーロ2012も連覇して黄金時代を築いた。また、08-09シーズンのCLではグアルディオラ監督率いるバルセロナが優勝、10-11シーズンも優勝している。スペイン代表のメンバーの中心がバルセロナの選手であり、この2つの強力なチームはほぼ1つのチームで、同じプレースタイルだった。

 スペイン・バルセロナは、ゾーンの4-4-2にとって“天敵”の出現である。

 4-4の守備ブロックは、その内部への侵入を容易に許さないことが最大のストロングポイントである。ところが、スペイン(バルセロナ)はブロックの内部へパスをつないで浸食し、そのことで守備のバランスを失わせた。ジネディーヌ・ジダンが個人で与えた4-4-2への脅威は、スペインによってチームとしての脅威になったわけだ。

 スペインはゾーンの隙間にパスをつなぎ、周辺の守備者が収縮する前にボールを逃がす。それを連続されるとゾーンによるブロック守備戦術はもたない。ボールへの収縮は別のエリアのスペース拡大を意味し、なおボールを追い続けて奪えなければ、守備組織は崩壊へ向かって進む。

登場のタイミングが絶妙だったティキ・タカ

 90年代にACミラン型の4-4-2が普及するのとほぼ同時期に、ヨハン・クライフ監督に率いられたバルセロナは緻密なパスワークのスタイルで“ドリームチーム”と呼ばれていた。後の“ティキ・タカ”のルーツがこの時期のバルセロナである。クライフからグアルディオラへ、人へのポゼッションから隙間へのポゼッションへ。4-4-2の天敵は同時進行で進化していたわけだ。

 ミラン型ほど世界的に普及しなかったのは、ミラン方式が守備戦術であるのに対して、バルセロナは攻撃力が柱になっていたからだ。つまり、技術がないと成立しないサッカーなので簡単に模倣できないし、付け焼き刃では効果も期待できない。グアルディオラ監督時代の成功を目の当たりにしてから、多くのチームがバルセロナを模倣したが同じ水準に達したチームは1つもなかった。

 余談だが、現在のバルセロナ自身がチャビ、イニエスタ、メッシ、ブスケツで組んでいた時代のティキ・タカを越えられていない。一貫した哲学と戦術の下に育てられてきた選手たちのセットでないと、あれほどの効果は出ないのだと思う。

 ティキ・タカはその登場のタイミングも絶妙だった。4バックのゾーンシステムが世界中に普及しきった段階で出てきたため、スペイン(バルセロナ)には戦術的に敵がおらず、1人勝ちの状態が続いた。2014年ブラジルW杯で優勝したドイツもグアルディオラ監督のバイエルン・ミュンヘンを土台にしていたので、2大会連続でほぼ同じ戦術のチームが世界一になったといえる。

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最終更新:6/29(水) 10:28

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