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祝80周年!中日ドラゴンズの“切ない歴史”トリビア

R25 6/30(木) 16:56配信

企業にとって「周年」は大きなビジネスチャンスだ。プロ野球では一昨年に巨人が、昨年は阪神が80周年を迎え、周年イベントや記念グッズで大きな賑わいを見せた。今季、球団創設80周年のメモリヤルイヤーを迎えたのが中日ドラゴンズ。ただ、率直にいって「中日80周年」が盛り上がっている印象はない。そこで、そんな中日を思わず応援したくなる「ちょっと切ないドラゴンズ史」を掘り下げてみたい。

◎そもそも、なぜ「ドラゴンズ」?
これまで、何度か球団名が変わっている中日ドラゴンズ。この「ドラゴンズ」の呼称が付けられたのは1947年のことで、当時の球団オーナー・中部日本新聞社の杉山虎之助社長に由来している。最初「ワシの名前は虎だから『タイガース』に!」と命じたというが、既に大阪タイガースが存在していたため、「なら、ワシの干支は辰だから『ドラゴンズ』だ!」との“鶴の一声”ならぬ“虎の一吠”で決まったらしい。もし、違う干支だったら…!?

ちなみにこの翌年、ユニフォームの胸のマークに初めて「ドラゴンズ」の呼称を採用したところ、「Doragons」とまさかのスペル間違い。慌てて正しいスペル(Dragons)で作り直した、という逸話も残っている。

◎目立てなかった優勝と「燃えよドラゴンズ!」秘話
中日はこれまでリーグ優勝9回、日本一2回。なかでも、野球史を語る上で外せないのが1974年のリーグ優勝だろう。前年まで巨人が9連覇中。つまり、巨人のV10を止めたのが中日だった。

ところが、中日が20年ぶりの優勝を決めた1974年10月12日に長嶋茂雄が現役引退を発表。翌日のスポーツ紙1面は中日の系列以外、すべて長嶋の記事だった。さらに2日後の14日、名古屋で優勝パレードが行われた日が長嶋茂雄の引退試合。またしても世間の注目を奪われる形となった。

ちなみに、この1974年の快進撃を受け、CBCラジオの番組『ばつぐんジョッキー』の企画で誕生した応援歌が、以降20パータン以上制作されることになる「燃えよドラゴンズ!」。番組パーソナリティだった中日OBの板東英二が歌い、40万枚を超えるヒットソングになった。ただ、オイルショックの影響でレコード生産が追いつかず、板東はしばしば「本当はもっと売れたはず」と悔しがっている。

◎人気者・ドアラの悲しい過去
「燃えよドラゴンズ!」とともに、ナゴヤドームの応援で欠かせないのが中日のマスコット、ドアラのバク転タイムだ。今でこそ12球団のマスコットのなかでも一、二を争う人気を誇るドアラだが、ここに至るまでには辛い道のりがあった。というのも、発案したのは球団ではなく広告代理店。球団側はコスト面からこの案を却下したが、広告代理店の担当者が独自にスポンサーを集めてコストの不安を払拭し、1994年、どうにかドアラ誕生にこぎつけたのだ。

1997年のナゴヤドーム誕生の際には、新マスコット・シャオロンのデビューにあわせて「ドアラお役御免」説が持ち上がり、ファンからの懇願でどうにか首がつながるという不遇の時代を過ごした。今年は、80周年記念事業として「ドアラ体操」なる子ども向け体操まで生まれている。

多くの解説者が低迷を予想するなか、ここまでAクラスをキープし、セ・リーグを盛り上げている中日ドラゴンズ。“切ない歴史”を払拭する節目の大金星なるか? 注目していきたい。
(オグマナオト)
(R25編集部)

※コラムの内容は、フリーマガジンR25およびR25から一部抜粋したものです
※一部のコラムを除き、R25では図・表・写真付きのコラムを掲載しております

最終更新:6/30(木) 16:56

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