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取り組むとなったら失敗は許されない。デビュー10周年で挑戦する現代物ミステリー 『横浜1963』 (伊東潤 著)

本の話WEB 6/30(木) 12:00配信

 これまで歴史小説しか書いてこなかった私だが、デビュー10周年ということもあり、思い切ったチャレンジをすることにした。現代物ミステリーへの挑戦である。

 少年時代からドイル、クイーン、クリスティ、『刑事コロンボ』のノベライズ版などを読んできた私は元来、ミステリーが大好きだった。その後もハメット、チャンドラー、松本清張、横溝正史、森村誠一などのミステリーに親しんできたので、ミステリーを書くことに抵抗や不安はなかった。

 むろん、取り組むとなったら失敗は許されない。ミステリーの場合、最近は極めてレベルが高い上に、名うての作家たちが鎬を削っている。そうした戦場に割って入るには、相応の覚悟と戦略が必要だ。

 まず舞台となる時代の設定だが、これからは徐々に戦後昭和が地続きでなくなり、歴史の世界へと変化していくと思われるので、読者がノスタルジーを感じられる時代がいいと思った。そうした意味で、東京オリンピック前夜の1960年代初頭は、日本が高度成長期に向かうとば口にあたり、得体の知れない熱気が感じられるので描きがいがある。

 また、自分のよく知る場所なら縦横無尽に筆が揮えるので、生まれた場所であり、現在も住んでいる横浜中心部を舞台に選んだ。そうなれば当然、米軍との関係は無視できない。そこで在日米軍を物語に絡ませることにした。

 次に作品全体に漂う雰囲気をどうするかだが、十代の頃、スウェーデンのマイ・シューヴァルとペール・ヴァールーという夫婦作家の書いた「刑事マルティン・ベック・シリーズ」に出会い、熱心に読んだことがある。そこで、その雰囲気を私なりに再現しようと思った。

 マイとペールは、ほかの欧米作家に比べて風景や情景の描写が緻密で、鋭敏な感性と多彩な表現力により、ストックホルムという街を小説の中で見事に再構築していた。むろんそれは、マイとペールの創り上げた異空間だが、路地裏の饐えた臭いまで漂ってくるようなリアリティを持っていた。私はマイとペールに倣い、1960年代の横浜を活字の世界でよみがえらせようと思った。

 次にテーマだが、歴史小説が現代社会の写し鏡になっていなければならないのと同様、1963年を描く意義として、現代と共鳴する部分は必須である。

 中国やロシアといった覇権主義国家の台頭により、日本は今、米国との関係が、これまで以上に大切な時代になっている。ところが戦後、日米はどのような関係にあったのかは、あまり知られていない。とくに駐留軍と共存してきた日本の庶民が、彼らに対して、どのような感情を抱いていたかについて書かれたものは皆無に等しい。私は子供の頃から聞かされてきた様々な人々の感懐や意見を思い出し、作品に反映させていくことにした。

 こうした道具立てが済んだ後、日本の警察官と米軍のSP(Shore Patrol)がバディを組み、犯人逮捕という共通の目標に向かっていくという展開を思い付いた。まさに日米同盟である。

 また、マイとペールのデビュー作である『ロセアンナ』へのオマージュとして、冒頭で水中死体が上がることは、すでに決めていたので、あっという間にストーリーの骨格ができ上がった。

 書き始めて気づいたのは、自分の特色である淡々とした文体が、ハードボイルド・ミステリーに向いていると感じたことである。この作品には、何がしかのトラウマを抱えた男たちが出てくるのだが、彼らの感情表現を抑えぎみにしたおかげで、実在感がぐっと高まったように思われる。とくに横浜という舞台装置が、クールでドライな主人公たちには似合っている。

 かくして『横浜1963』の執筆はスタートした。途中、様々な壁にもぶち当たったが、担当編集や支援者の力を借りて何とかクリアすることができた。

 自分としては、確かな手ごたえが感じられる作品だが、どう評価するかは読者次第である。

 私が今後、歴史とミステリーを二本柱として、小説家のキャリアを積んでいけるかどうかは、この作品の成否に懸かっている。

伊東 潤

1960年神奈川県生まれ。早稲田大学卒業。『国を蹴った男』で吉川英治文学新人賞、『巨鯨の海』で山田風太郎賞、高校生直木賞、『峠越え』で中山義秀文学賞など、受賞多数。

文:伊東 潤

最終更新:6/30(木) 12:00

本の話WEB

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