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32年ぶり11連勝。カープ田中広輔、黙して語らずプレーに没頭する勇ましさ――ドラフトに振り回された経験が礎に

ベースボールチャンネル 6/30(木) 11:20配信

ここまで1番で全試合出場

 広島の勢いが止まらない。
 交流戦ではセリーグでは群を抜く数字を残し、混戦のペナントを頭ひとつ抜け出している。
 6月29日の東京ヤクルト戦でも8-1で勝利。84年以来、32年ぶりの11連勝を飾った。

「キク・マル」コンビに、赤丸急上昇中の鈴木誠也の活躍もさることながら、投手陣はエース級として君臨する外国人のジョンソンが防御率2.10で安定感を誇り、そのジョンソンを上回る9勝を挙げている5年目の野村祐輔、そして安心感の黒田博樹が支え、中村恭平、戸田隆矢の若い力と投打にバランスが取れているのだ。

 そんなチームの中にあって、調子を崩さずに全試合フルイニング出場しているのが田中広輔選手だ。「1番・遊撃手」の地位を確立している。

 昨今は1番打者をいじくるケースがかなり多い傾向にあるが、この時期になっても一度も譲ることなく田中が務めているということは、それだけの安定感をチームにもたらしていることの証だろう。

 とはいえ、社会人から入団3年目になる田中だが、ここで一つ大きな疑問が残る。
 なぜ、これだけ走・攻・守で高い能力がある田中のプロ入りが、社会人にまで待たなければいけなかったのかということだ。

 東海大相模―東海大―JR東日本とアマチュア野球界の王道は歩いていてきた田中が、なぜ、時間を要したのだろうか。

 その裏には、ドラフトに振り回された彼の流転人生があった。

高校ではプロ志望届を出さず、大学へ

 同級生に菅野智之がいた東海大相模時代、菅野以上にスカウトからの注目を浴びていたのが、田中だった。高校2年春のセンバツでは甲子園に出場、1回戦の京都外大西戦では、1学年上の大野雄大(中日)と対戦している。

 高校での甲子園出場は1回のみだが、プロがドラフト指名に動いていたという噂もあったほどだ。しかし、田中はこのときプロ志向があったにも関わらず、プロ志望届を出さなかった。周囲の「大学を経てから」の説得に首を縦に振ってしまったのだ。

 この選択が彼の野球人生に影を落とした。
 
「自分としては、高卒でプロに行きたい気持ちが強かったんです。説得されて納得はしていたんですけど……気持ちを切り替えられませんでした。大学入学したての頃は、やる気というか、モチベーションが全然上がってこなかった」

 大学入学直後からの活躍を期待されたが、1年春はベンチ入りするのみで活躍することはなく、出足から躓いたのだった。

 2年春にモチベーションを持ち直してレギュラーを獲得。3年時には、1学年上の伊志嶺翔太(ロッテ)や菅野ととともに、全国大学選手権と神宮大会で準優勝を果たすなど再び注目を浴びるようになっていたが、一度狂った歯車は、うまくは回転しなかった。

 4年春、プロへ向けて大事なシーズンと目される時期、田中は急激な不調に陥ってしまったのだ。打率は2割を大きく割り込む低調な成績。リーグ優勝も逃してしまった。

 やっとの思いで目指してきたプロを眼前に意識し、力みから本来の持ち味を出せなくなってしまったのである。

 田中がかつて当時のことをこう回想している。

「自分のことしか考えていなかったですね、プロに行きたい、行かなければいけない、と。チームの勝利よりも自分の成績。打席で打てなかったら、一打席一打席、一喜一憂していました。プロにいくことばかりが頭にあって、焦って結果もついてこなかった」

 春のリーグを終えた時点でプロを諦めることになった。

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最終更新:6/30(木) 12:01

ベースボールチャンネル

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