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『ヒメアノ~ル』『葛城事件』……日本の“バイオレンス映画”が活気づいている背景

リアルサウンド 6/30(木) 16:34配信

 日本のバイオレンス映画が活気に溢れている。“バイオレンス映画”と一括りに言ってしまうと、これまでのイメージから任侠映画やVシネマのようにターゲットが明確化されたジャンルのように思えてしまうが、最近はそうではない。あらゆる客層が集い、多くの映画が上映されているシネコンでは、暴力描写を売りにした作品や、ダークな雰囲気を漂わせる作品が挙って上映され、多様な作品を扱っているアピールをするのに一役買っている。

 現在公開中の作品では、森田剛がシリアルキラーを演じて話題となっている吉田恵輔の『ヒメアノ~ル』や、喧嘩に明け暮れる若者を主人公にした真利子哲也の『ディストラクション・ベイビーズ』、無差別殺傷事件で崩壊していく家族を描いた赤堀雅秋の『葛城事件』などがその例だ。いずれも将来が期待されている若手作家が手掛けているだけに、日本映画界でブームが起こっているといっても過言ではない。

 そのきっかけはどこにあったのか。遡れば深作欣二の『仁義なき戦い』シリーズを筆頭にした、リアリティを追求した激しいバイオレンス映画はこれまでも数多く作られてきた。2000年に公開され社会現象を巻き起こした『バトル・ロワイアル』以後、暴力描写に対する表現の規制が厳しくなり、2009年に映倫の規定が見直されると、かえってレーティングを全面に押し出す宣伝が目立つようになった。

 レーティングというマイナスイメージを逆手に取り、「映画でしか観ることができない」刺激の強い表現を活かした作品の存在が、今日のブームの礎を築いたのだろう。中学生をメインに描きながら、その激しい暴力描写からR15+指定となった『告白』は2010年の実写邦画第4位の大ヒットを記録。2012年公開の『悪の教典』も20億を超えるヒットとなった。また、ミニシアター公開でR18指定というハンデを受けながら、1億円を超える異例の興行収入をあげた2011年公開の『冷たい熱帯魚』などもある。

 このような「映画でしか観ることができない」という要素は、重要なヒット要因のひとつであろう。最近の日本映画の主流である製作委員会方式に、テレビ局が参加し出資することは、テレビ放映を前提とした映画作りが行なわれている象徴である。しかしその分、お茶の間での団欒のBGVにそぐわない描写は制限されてしまうし、いくらテレビCMを打ったところで、待てば無料で観られる映画にわざわざ足を運ぶという選択肢は選びづらいものである。

 前述した作品のように、製作委員会にテレビ局が参加していない作品は、民放での放映がほとんどないため、表現に制約が少なくなる。レンタルやVODまで待つという選択肢はあるにしても、どうせお金を払うのならば、優れた環境で観るに越したことはない。必然的に、制約の少ない映画というのは、映画館で観るに相応しいメディアということになるわけだ。

 また、「流行に逆行した流行」という、文字にすると何ともややこしい表現でも説明できる。最近の日本映画のトレンドは、漫画やアニメの実写化。とくに、少女漫画の実写化が顕著なのである。その少女漫画映画は、ロマンティックな恋愛要素を織り交ぜた軽やかな喜劇が中心となるだけに、やはり客層がある程度絞られてしまう。そこから漏れてしまった層の受け皿は必要となるし、何よりその流行に辟易としている一部の映画ファンは、対極となるような激しいバイオレンスや、ダークで重厚な物語を求めるようになるのだろう。

 ヘビー層である映画ファンの評価を得れば、彼らがSNSで広めることによってフォロワーにいるセミライト層以上からも注目を集める。そのセミライト層に受ければ、今度はライト層にも広がる可能性が出てくる。大規模の宣伝が難しいタイプの作品こそ、SNSでの口コミは大事なことだ。とくに自ら積極的にフォローしている人物から直接得られる情報というのは、信頼度が高いものである。

 このようにして注目度が増している現代型バイオレンス映画は、いずれも日常生活の中で発生する暴力を、現実から完全にかけ離れたものとして描かないことが共通している。舞台が家族の中や学校の中であったり、主人公はどこにでもいる平凡な青年で、ヒーローと呼ぶには程遠い存在であったり。それは映画そのものが、絶対的な非現実の象徴として求められていた時代から、観客のリアルな体験に根ざしたものが必要とされる時代に変化したということに他ならないのだ。

久保田和馬

最終更新:6/30(木) 16:34

リアルサウンド

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