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リアルタイムで知っている「事件」に答えを 『私の消滅』 (中村文則 著)

本の話WEB 7/4(月) 12:00配信

 脳と精神の物語を、直接脳に流し込まれた気分。

 中村文則を語る上で、よく「悪意」という言葉が上がるように思う。

『私の消滅』もまた悪意の連鎖が展開に大きく関わってくるが、それ以前に日常風景レベルで悪意の描写が異様に上手い。

 日常生活におけるほんの些細な悪意。

 例えば、タバコを道に捨てる人間の悪意。それに対して死ねと思う敵意。クラスメイトの一人が先生に怒られているのを見て図らずも感じた優越感。

 そんな普段気にも留めない程度の悪意を丁寧に掬い上げられサラリと並べられようものなら、中村文則の悪意への敏感さやアウトプットの自然さに舌を巻くと同時に、概ね平穏に思われたこれまでの僕の人生も一体どれほどの悪意の中にあったのだろうかと、呑気な思い出への懐疑心もわいてくる。

 人の頭はそんな事で揺らいでしまうほど脆い。

 少年時代に読書を覚え色々な物語を読むうち、どこかで「脳と精神をめぐる物語」に出会う。

 人間の見ている世界の曖昧さを提示され不安になり、精神の危うさを知り怖くなり、脳の謎に興奮する。

 こういう感覚を読書でもたらされるのはいわば必須科目だ。

 昭和の時代、夢野久作の『ドグラ・マグラ』がそういう読書だったのではないかと思う。

 また、島田荘司の『異邦の騎士』が今日まで多くの読者の脳を動揺させたのではないか。

 これら不朽の名作に並び、まさに『私の消滅』こそ、これから読書経験を重ねていく次の世代が最初に出会う脳と精神の物語ポジションを奪える作品なのではなかろうか。

 しかも簡潔!

 脳と精神を物語に用いる上で必要な説得力を充分与えつつ、読んでるこっちまで脳がフラフラ揺さぶられる不気味な感覚、鮮やかな構成。

 こんな事が、たった166ページで出来上がってしまったのだから、これから「脳系」のミステリに触れたければ『私の消滅』を読めば良いよ!と思う。

 書評という体であるにもかかわらず、主観に寄って申し訳ないが著者である中村文則は僕と同じ1977年の生まれだそうだ。

 それで腑に落ちた。

 この小説を読んだ時、同じ時代を生きた者特有の感覚を妙に生々しく感じたからだ。

 これまでの読書の中で、ひと昔ふた昔前の実際の事件がモチーフとして取り上げられたり考察されたりしてきた。

 例えば、津山30人殺し事件であったり、若者による一連の左翼運動であったり、そういった僕が生まれる前の事件を、小説を通じて追体験してきた。

『私の消滅』では、あの幼女連続殺人事件の宮崎勤について言及される。

 これは「歴史」ではなく、リアルタイムで知っている「事件」だ。

 しかも書かれるのは事件そのものに加え、宮崎勤が取調べや公判で供述し、気味の悪いスケッチとしても残されている空想のキャラクター、「ネズミ人間」に関して。

 宮崎勤のネズミ人間は、あの事件をリアルタイムで知っている者なら頭の隅にずっと引っかかってた興味ではないだろうか。

 かくいう僕も忘れられない奇怪な物として頭の隅どころか中心にあったように思う。

『私の消滅』からは宮崎勤の理解しがたい事件とネズミ人間の意味不明さに、一つの答えを見出そうという不気味な熱意を感じる事が出来る。

 宮崎勤の弁護を中村文則が務めたなら、判決に何らかの影響があったんじゃないかとさえ思った。

 同じ世代の人間が感じていた、体温を持った「不可解」に真っ向から潜って行ける本がこれから増えていく予兆を感じ、僕も薄気味悪い期待に胸が高鳴った。

 加えて『私の消滅』には、罪を犯した人間が受けるべき最も理想的な罰の形が提示されている。

 それを自分の頭の中で反芻するたび、行き場を失った悪意のエネルギーがどうしようもなく頭の中をグルグル回る。

石黒正数

漫画家。1977年、福井県生まれ。
「ヤングキングアワーズ」にて連載中の『それでも町は廻っている』で第17回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞。ほかの作品に『木曜日のフルット』『外天楼』『ネムルバカ』などがある。

文:石黒 正数(漫画家)

最終更新:7/4(月) 12:00

本の話WEB

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