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ふいに背負ってしまった罪と喪失それでも人生は続いていく 『一瞬の雲の切れ間に』 (砂田麻美 著)

本の話WEB 7/5(火) 12:00配信

 澄みわたる青空に白い雲――表紙写真の明るさにつられて、人生に疲れた主人公の前に少しずつ光が射し始める、そんなお話だろうかと思いつつ読み進めるうちに、立ち込める不穏な気配に気づかされる。

「きっかけは、長崎の原爆資料館で見た写真に添えられた言葉でした。『その日長崎は分厚い雲に覆われていたが、一瞬の雲の切れ間に原爆が投下された』。この言葉に触れたとき、俄かにこの物語が立ち上がるのを感じました。たった一瞬の、でも決定的に人生が破壊されてしまうに充分な出来事に見舞われた人たちの姿が目の前に浮かんできて……」

 予期せぬ形で未来を摘み取られた8歳の少年。彼を撥ねた車を運転していたのは、5歳の子を持つ、ひとりの母親だった。この痛ましい出来事が、様々な人間の人生を変え、翻弄していく。

 亡くなった少年の母親・吉乃(よしの)と、思いがけず加害者になってしまった美里(みさと)。美里の夫である健二(けんじ)と、健二の不倫相手・千恵子(ちえこ)、そして意外なキーマン・浩一(こういち)という5人のうち、物語は核心から遠く離れた千恵子から始まり、やがて美里にたどりつく頃には、もはやこの運命のなかに自分も絡め取られているのではないかとさえ思えてくる。それほどに、登場人物たちの存在が生々しいのだ。理由のひとつは、事故の原因が「不注意」だったことだろう。飲酒運転やスピードオーバー、そういう“罪”があれば、読者はもっと簡単に加害者を断罪し、被害者に同情できたはずだ。美里を犯罪者として分類し、彼我のあいだに線を引くこともできた。

 でも美里には、わかりやすい落ち度がない。だからこそ本人も悔やんでも悔やみきれず、「人殺し」になってしまった自分に絶望する。その姿を、誰が他人事だと突き放せるだろうか。

「小説は、そういう割り切れない思いや、心の奥底に眠る感情を厳密に言葉で表現することができます。口に出したことはもちろん、言えなかったことやこっそり抱いている本音まですべて。それが、普段私が仕事にしている映画と違ってすごく自由なところです。とくにドキュメンタリー映画の場合、目の前にいるのは名前をぶら下げた生身の人間で、撮っているうちにどうしてもその人のことを好きになってしまう。いいところを引き出したいと思ってしまう。同時に、自分の編集によってそのひとを『つくって』しまうのが怖くなるんです」

 だから小説を書き始めて、自制心から解き放たれ、遠慮なく人間の嫌なところや醜いところにも踏み込めるということにハマッたのだという。

「そもそもドキュメンタリーを撮っているときは、目の前の現実に介入したくない。その場にある椅子ひとつだって動かしたくない。だからこそ表現できない現実もあります。最初にそれを実感したのが『エンディングノート』を撮っているときでした。闘病中の父にカメラをまわしながら、娘としての気持ちを抑え込んでいることに窒息しそうで――。それでエッセイを書きたいと言ったら編集の方に小説にすることを勧められて。それが1作目の小説『音のない花火』になったわけですが、書いてみて、小説にしてよかったとつくづく感じました。もしエッセイとして書き始めていたら、しがらみや見栄、そういうノイズが入り込んでとても書き進められなくなっていたと思います。フィクションにし、自分ではない人間を主人公にしたからこそ本当の感情を浮き彫りにできたんだろうなと」

 一方で、2作目となる本作には、砂田さん自身を投影したと思しき人物は登場しない。吉乃には吉乃の、美里には美里の揺るぎなき自我がある。結局、砂田さんは小説にしてもドキュメンタリーにしても「その人をその人たらしめている個性」をじっくりと凝視し、掬い取っていくのが天才的にうまいのだ。

 次は、映画でフィクションに挑戦したいという。何があぶりだされるか、期待して待ちたい。

 ◇ ◇

『一瞬の雲の切れ間に』 ポプラ社 本体1400 円+税

砂田麻美(すなだまみ)

1978年東京都生まれ。大学在学中よりドキュメンタリーを学び、卒業後は監督助手として是枝裕和監督らに師事。2011年、ガンを患った自身の父親の最期に迫るドキュメンタリー映画『エンディングノート』を初監督。13年にはスタジオジブリに密着した映画『夢と狂気の王国』を公開。小説は、本作が『音のない花火』につづく2作目。

聞き手:「別冊文藝春秋」編集部

最終更新:7/5(火) 12:00

本の話WEB