ここから本文です

ハンド宮崎大輔が明かす異国で認められる秘訣 「感情全部捨てた」

THE ANSWER 7/6(水) 14:18配信

頭に過ぎった引退の2文字、ハンドボール宮崎が抱えた苦悩

 日本ハンドボール界の第一人者、34歳になった宮崎大輔は頭にチラついていた「引退」の文字を吹き飛ばしてみせた。

 宮崎が所属する日本ハンドボールリーグの名門・大崎オーソルは2015~16年シーズン、プレーオフを制して5年ぶりに優勝した。25-24と接戦を制したトヨタ車体とのプレーオフ決勝で宮崎は4得点を挙げ、健在ぶりと勝負強さを示している。

 だが、この復活劇には人知れぬ葛藤があった、

「(春に)腰を手術したのですが、2度目だったために(復帰に向けては)慎重にやっていかなくてはなりませんでした。11月に控えていたリオ五輪アジア予選のメンバー入りを目標にして徐々に体の状態を上げていくことにしました。でもなかなか状態が戻っていかない。そのアジア予選では思うように体が動いてくれず、いいシュートも打てないし、いいパスも出せなかった。『俺、こんなんじゃないのに』って思いましたよ。

 当たり前だと思っていたプレーをやれないもどかしさが募って、『このまま引退してしまうのかな』と感じたんです。周りの人たちの存在が大きかったかなと思いますね。仲間、同級生であったり、他競技のアスリートの友人であったり……。『お互いに頑張ろうな』とは言わないんです。『絶対、お前には負けないからな』とか、そういう言葉で刺激しあって今回も奮起させられたところはあります。ハンドボールの講習会で子供たちを指導したときに、僕のことを目標にしていると言ってくれた子もいました」

孤独の中で戦い続けた海外生活、あだ名は「クレヨンしんちゃん」「たまごっち」

 相次ぐケガと、自分の感覚とズレてしまうプレー……。だが「周り」が、宮崎に引退を踏みとどまらせた。アスリート仲間、同級生、そして子供たち。彼らから受けた刺激によって、宮崎はもう一度自分にネジを巻いた。

 彼は「刺激」を肥やしにして、成長を遂げてきたアスリートである。

 あのときもそうだった。

 中東勢のチームに有利なレフェリングをする「中東の笛」で注目を集めた北京五輪予選。異例のやり直しとなったアジア予選や世界最終予選でも勝てず、五輪切符をつかめなかった。宮崎は2009年、入団テストからスペイン1部のアルコベンダスに入団する。しかし、チームメイトから認めてもらえない日々が続いた。

「ハンドボールで日本は弱小国。だからチームメイトは日本のハンドボールなんて知らなかったし、だから練習をしても、パスが回ってこないんです。一番ボールが回ってくるはずの真ん中にいるのに飛ばされてしまう。僕からしたらあり得ない。あだ名も“クレヨンしんちゃん”とか“たまごっち”とか付けられて、最初の1カ月間は孤独との戦いでもありましたね」

 宮崎の心に火がついた。チームメイトが自分を理解するよりも、まずは自分がチームメイトを理解しようとした。

「僕は日本の選手を代表してここに来ているんだ、ということ。後に続こうとする人たちのことを考えたらこのままじゃ日本に帰れません。だから恥ずかしいとか、納得いかないとか、そういう感情は全部捨てました。言葉は喋れなくてもジェスチャーがあると考えて、伝えたいことはその場で伝えるようにしました。チームメイトを一人ひとりランチに誘ったり、バーに誘われてないのに勝手についていったり……。少しずつみんなとコミュニケーションを取っていくことで、段々と状況が変わっていきました」

1/2ページ

最終更新:7/6(水) 15:30

THE ANSWER