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なぜ若手有望株が数年で引退に? 元Jリーガーが秘める悔いとは

THE ANSWER 7/6(水) 16:47配信

岡田武史氏も高評価した若手有望株が大成しなかった理由とは

 ユース時代から将来を嘱望された選手が、プロ入り後に伸び悩んでわずか数年でそのキャリアを終える――。Jリーグが抱える若手育成の課題だ。今回は、まさに同様の経験をした元Jリーガーに直撃し、当時、どのような問題点があったかを振り返ってもらった。

 話を聞いたのは2001年~2003年まで横浜F・マリノスに所属した飯田紘孝さん。小学生の頃から横浜FM(日産)の下部組織に所属し、ユース時代にはU-16日本代表に選ばれた実績も持っている。167センチと小柄ながら小気味よいドリブルと天性のサッカーセンスで中盤のアタッカーとして大きな期待を寄せられた。

 03年から06年までチームを率いた岡田武史氏(現FC今治オーナー)からも高く評価されるほどのテクニシャンだったが、公式戦出場は2試合、わずか3年でプロとしてのキャリアの幕を閉じた。

 飯田さんは、プロとして味わった挫折をこう振り返る。

「今、冷静になって考えてみると、育成年代の道筋があまりにも順調にきてしまったことがよくなかったのだと思います。高3の夏にトップチーム昇格を伝えられたのですが、それ以降“サッカーをすることで、お金を稼いでいく”というプロとしての大前提の気持ちの切り替えができていませんでした」

 育成年代の頃、飯田さんは「純粋にサッカーを楽しむ」ことで全日本クラブユース選手権制覇などを経験したが、その当時からプロとしてのキャリアや指針をしっかりと描いていなかったのだという。

才能があっても成功するとは限らない―、プロで成功する重要な要素とは?

「プロ入り以降は、他の選手のレベルの高さや規律、コンディション、メンタルの維持の難しさを味わい、サッカー人生で初めて大きな壁にぶつかりました。ユース時代までの監督やコーチにも目標設定の仕方などを言われてきたはずなのですが、ある程度出来てしまっていたので、そんな意識自体を持てていなかった。今振り返れば、それがプロという世界に入ってから大成しなかった理由のひとつだと思います」

 現在33歳となった飯田さんは現役引退後、各種専門学校で学び、柔道整復師・鍼師・灸師・あん摩マッサージ指圧師の資格を取得。2014年6月には都内に自身の整骨院を開業した。社会人としてお金を稼ぐ苦労を知っただけに、その悔しさは一層募るという。

「意識が足りない選手時代だったと思います。岡田さんにも色々厳しく指導されました。ただそのアドバイスを流してしまうような感じだったので、監督やコーチからしたら、かなり扱いづらい選手だったんではないでしょうか」

 いかにテクニックが高く、突き抜けた才能を持っていても、プロで成功するとは限らない。飯田さんの話を聞くと、「アマチュア」から「プロ」への意識転換をどう図っていくかが重要なポイントのひとつとなることが分かる。

 若年層の頃から、いかに将来像を描いてプレーできるか――。少しでも高い頂を目指したい未来のアスリートに向けて、非常に重い意味を持つ言葉だ。

◇飯田紘孝(いいだ・ひろたか)
いいだ鍼灸整骨院 院長。柔道整復師・鍼師・灸師・あん摩マッサージ指圧師。
小学2年から横浜F・マリノス(当時の日産)の下部組織、日産プライマリーでプレー。横浜F・マリノスジュニアユース、ユースを経て、2001シーズンにトップチームへ昇格。ユース時代には、U-16日本代表、全日本クラブユース選手権で全国制覇。惜しまれながらも2003シーズンをもって現役引退。2004年より専門学校を経て、桜新町はりきゅう接骨院、大田区某整形外科リハビリテーション科の主任を務め、2014年6月に開業。現在は、プロ選手時代の経験を生かし、整骨院に訪れる一人ひとりの身体と向き合い、若年層アスリートの成長を促している。

ジ・アンサー編集部●文 text by The Answer

最終更新:7/6(水) 17:15

THE ANSWER

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