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ボブ・ディランとジョン・レノン、レアな二人のドライブ・ドキュメンタリーが公開

ローリングストーン日本版 7/7(木) 16:00配信

ロック界のレジェンド2人のレアなツーショットを収録したドキュメンタリー『Eat The Document』とは。

【映像あり】ボブ・ディランとジョン・レノン、レアな二人のドライブ・ドキュメンタリーが公開

1966年5月、当時の若者たちはジョン・レノンとボブ・ディランの2人を「新世代の代弁者」と呼んだ。誰も聴いたことがない音楽を世に送り出す存在として、両者は当時の音楽シーンの頂点に君臨していた。前年7月に発表された『ライク・ア・ローリング・ストーン』で、ポップ・ミュージックの定義を押し広げてみせたディランは、2枚組の大作『ブロンド・オン・ブロンド』を完成させたばかりだった。一方レノンは、世界に衝撃を与えたビートルズの『リボルバー』に収録されることになる、アシッドの影響下で生まれた哲学的な歌詞と革新的なプロダクションが共存する『トゥモロー・ネバー・ノウズ』のレコーディングに臨んでいた。

本映像には、同時期にクリエイティビティの爆発を経験していた2人のレアなツーショットが収録されている。しかしカメラに収められたのは、両者のアートについての崇高な会話ではなく、ロンドン市街を走るリムジンの後部座席で支離滅裂なやり取りを交わす2人の姿だ。社会問題の解決に貢献するような内容にはほど遠いが、本映像がスーパースター2人のありのままの姿と、両者の間に存在した緊張感を捉えた貴重なものであることは間違いない。

本映像はディランにとって初のイギリスツアーの様子を追った『ドント・ルック・バック』の監督を務めたD・A・ペネベイカーによって撮影され、後に公開される予定だったドキュメンタリー『Eat The Document』に収録されている。前作における白黒映像を用いた映画風のアプローチが気に食わなかったディランは、本ドキュメンタリーの監督を自身で務めている。ロック史最大の愚行と揶揄されたディランのエレクトリック路線が大きな話題を集めていたこともあり、本ツアーは前年にも増して波乱万丈の内容となった。しかし本ドキュメンタリーの中心となっているのは、ライブ映像やバックステージの様子ではなく、どこかシュールレアリスム的なディランとその仲間たちの何気ないやりとりだ。

ロンドン郊外にあったバンドメンバーの溜まり場で夜を明かしたディランとジョン・レノンの2人が、ハイド・パーク内を走る車内で戯れる本映像が撮影されたのは、1966年5月27日早朝のことだ。ペネベイカーが手にしたカメラを前に、ディランはボブ・ニューウィスの音作りにおける手腕について語っている。
--{「もともと2人は奇妙な関係だった」}--
「もともと2人は奇妙な関係だった」1999年のGadfly Magazine誌のインタビューで、ペネベイカーはそう語っている。「あのシーンで、2人は私に面白い映像を録らせようとしているようだったが、同時にお互いを牽制し合っているような節もあった」世界最高峰のリリシスト2人によるそのやり取りは、オスカー・ワイルドのウィットというよりは、好意的に捉えてもジェイムズ・ジョイスのワイルドな自由連想法といったところだが、実際にはドラッグ中毒者2人によるナンセンスなやり取りというのが妥当に違いない。ディランの言葉は特に理解不能だ。「あれは会話と呼べるようなものじゃなかった」ペネベイカーはそう語る。「あの時のディランは完全にドラッグの影響下にあった。何を話しているのか自分でも理解していなかったはずだ」

その支離滅裂な会話内容は、まるで理解を求めようとしないダダイストによるスピーチのようだ。話題は第2次世界大戦でイギリス軍がヒトラーのナチス・ドイツを破った勝因(回答:テムズ川の存在)、故郷への想い、野球などから、ママス&パパスやジョニー・キャッシュ、そしてイギリスのフォーク・ロック・グループのシルキーといった同時代のミュージシャンたちにまで及び、ビートルズの他のメンバーについて言及されるシーンもある。

まともに意味が理解できる部分があるとすれば、ディランが吐き気を訴える場面だろう。「気持ち悪くて吐きそうだ」そう呻きながらディランはこう話す。「カメラに向かって吐くってのはどうだ?俺がカメラの前で披露したことのない唯一の行為だ。やっちまうか」隣に座ったレノンはふざけながらディランにこうけしかる。「悩みのタネは目の痛みか、そのグルーヴィーなデコか、それともクルクルの髪か?そんな時はZimdawn!たかが映画だ、遠慮するな。やっちまえ」参っている様子のディランは答えようとしない。ペネベイカーによると、その後レノンは音楽仲間の男性をメイフェアのホテルまで連れて行き、胃の中のものをすべて吐かせなくてはならなかったという。

1970年に行われたローリングストーン誌のヤン・ウェナーとのインタビューで、レノンは当時のをこう振り返っている。「俺たちは皆ヘロインで完全にキマってた。気分は最悪だったよ。カメラを向けられている間、俺は頭に浮かんだことを片っ端から口にしてた。キマッてる時の典型的な行動パターンだ。でも主役は俺じゃない。あれは彼の作品で、俺は彼のテリトリーに入ってしまってた。とにかくひどく居心地が悪かった」
--{レノンはディランを「世界屈指の才能」:動画はこちら}--
2人が実際にヘロイン(通称:ジャンク)を使用していたかどうかは定かではないが、2人の様子から判断するに、それがケミカル系ドラッグ程度のものではなかったことは間違いないだろう。ディランに出演を依頼された瞬間から、レノンはずっと動揺していたという。「『なぜ俺を出演させるんだ?俺を陥れようとしているに違いない』そう思ったよ。マジで辛い経験だった」レノンはウェナーにそう語っている。ディランが発表した『フォース・タイム・アラウンド』が、レノン作の『ノルウェイの森』への回答だとする当時のメディアの過熱ぶりを考えれば、レノンががそう感じるのも無理はなかったのかもしれない。その後もレノンは、当時のことを幾度となく口にしている。

1964年のインタビューで、レノンはディランを「世界屈指の才能」と呼ぶなど、再三にわたって惜しみない賛辞を送っているが、その逆のケースはほとんどなかった。レノンはビートルズの『アイム・ア・ルーザー』や『悲しみはぶっ飛ばせ』といった内省的なアコースティック曲が、ディランの作風にインスパイアされたものであることを公言している。そしてビートルズが世界中を席巻する中、ディランはエレクトリック路線を追求し始める。ディランのルーツにはもともとロックンロールがあったとはいえ、エレクトリック路線への転向がビートルズの影響によるものであったことは間違いない。「ビートルズがいかに自身の影響下にあるかということを、ディランは頻繁に口にしていた」ビートルズのツアーマネージャーのニール・アスピノールは、『John Lennon: The Life』の著者のフィリップ・ノーマンにそう話している。「レノンはよくこうこぼしてた。『彼だって俺たちの影響を受けてるけどな』」

この映像が撮影された1966年5月以降、2人が顔を合わせたのは、ディランがヘッドライナーを務めた1969年のワイト島フェスティバルが最後だったと言われている。レノンがディランに対する敬意を失うことはなかったものの、本映像が撮影されたこの日以降、両者の関係はぎこちないものになったと言われている。自身のヒーローのあられもない姿を間近で目にし、レノンは少なからずショックを受けたのかもしれない。ディランの『新しい夜明け』を「つまらない」と評したレノンは、その10年後に「もうディランの作品はまともに聴いていない」とプレイボーイ誌に語っている。『ゴッド』や『サーブ・ユアセルフ』の歌詞には、ディランへの辛辣な批判ともとれる表現が登場する。その一方で、ディランは後年になってレノンからの影響を自身のヴォーカルスタイルに取り入れるようになる。2012年作『テンペスト』に収録された『ロール・オン・ジョン』は、レノンに捧げられたトリビュートソングだという。

『Eat The Document』の完成版は配給会社によって却下され、現在も未公開のままとなっている。しかし本編およびアウトテイクは長年にわたって海賊版として出回っており、ロック史に名を残すリリシスト2人が対面するこの貴重な映像は、現在ではインターネット上でも公開されている。

Translation by Masaaki Yoshida

JORDAN RUNTAGH

最終更新:7/7(木) 17:30

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