ここから本文です

ヤクルト由規、1771日ぶりの復活マウンドへ「1球投げたら世界が変わる気がする」

ベースボールチャンネル 7/8(金) 11:00配信

悲壮感を漂わせた「あの日」とは対照的な表情

 1771日ぶり──。実に5年近い歳月を経て、東京ヤクルトスワローズの由規が明日、本拠地・神宮球場のマウンドに上がる。それはかつて「史上最速」と謳われた右腕の中で止まっていた時間が、再び動き出すことを意味している。


「また新たな気持ちでというか、また新しく11番を背負う気持ちでサインしました」

 7月5日にヤクルトと支配下選手契約を結んだ由規(26歳)は、詰めかけた報道陣を前に、すがすがしささえ感じさせる表情でそう話した。昨年11月に育成選手として契約した時点で背番号は3ケタの121番になっていたが、支配下に戻ったことで新人時代から8年間背負った11番を取り戻した。その表情は、悲壮感を漂わせていた「あの日」とは対照的なものだった。

 あの日──2013年4月5日、試合前の神宮球場にネクタイ姿で現れた由規は、思いつめたような顔で口を開いた。

「葛藤はあったんですけど、このままズルズルいって先が見えないよりかは、手術してみるのも1つの手なのかなと」

 当時、由規は入団6年目。2007年秋のドラフトで5球団競合の末にヤクルトから1位指名を受け、1年目の08年に2勝、翌09年は5勝をマーク。10年には日本プロ野球で日本人投手として史上最速(当時)の161キロをたたき出し、初の2ケタ勝利となる12勝を挙げるなど、順風満帆な野球人生を歩んでいるように見えた。

 ところが11年3月、東日本大震災が発生。由規の故郷・仙台も甚大な被害を受け、まだ21歳だった右腕は「まずはプレーで勇気を与えることができたらそれが一番だと思うし、そのためには集中して全力でしっかりやるだけです。そうでないと被災された方々に、勇気とか元気を与えることはできない」と、強い決意でシーズンに臨んだ。

 5月末までは5勝2敗、防御率1.76の好成績を残しながら、6月に左脇腹を痛めて離脱。それでもオールスターに初めてファン投票で選ばれると、地元・仙台で行われた第3戦に先発して故郷で復活を告げた。

 チームはこの年、4月半ばからほぼ首位を独走し、2001年以来のリーグ優勝に向けてひた走っていた。由規が7勝目を挙げた9月3日の時点では、2位に3.5ゲーム差。しかし、その日を最後に由規は肩痛のため再び戦線を離脱。ヤクルトも土壇場で2位の中日にひっくり返され、11年ぶりの優勝は幻と消えた。

「結果的に優勝を逃しましたし、自分の中ではすごく責任を感じてます。(来年は)とにかく1年間ローテーションを守って、自分のやるべき仕事をしっかり全うして、来年こそ特別なシーズンにしたいと思います」

 そう雪辱を誓ったものの、その言葉が実現することはなかった。12年は春先から調子が上がらずに二軍スタートとなり、4月にはその二軍でも右肩の違和感で登板を回避。5月には左すねの剥離骨折も判明し、実戦登板から遠ざかった。そのままマウンドに戻ることなく、前述のとおり13年4月には右肩のクリーニング手術に踏み切った。

1/2ページ

最終更新:7/8(金) 11:06

ベースボールチャンネル

TEDカンファレンスのプレゼンテーション動画

北朝鮮からの脱出
北朝鮮での幼少時代、『ここは地球上最高の国』と信じていたイ・ヒョンソだったが、90年代の大飢饉に接してその考えに疑問を抱き始める。14歳で脱北、その後中国で素性を隠しながらの生活が始まる。 これは、必死で毎日を生き延びてきた彼女の悲惨な日々とその先に見えた希望の物語。そして、北朝鮮から遠く離れても、なお常に危険に脅かされ続ける同朋達への力強いメッセージが込められている。