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既存施設はゴーストタウン化?――一方で2500億円投じて日本中を武道場だらけにする意図って

HARBOR BUSINESS Online 7/8(金) 9:10配信

◆費用便益分析がなされないハコモノ行政の問題点

「連載第4回」までに中学校武道必修化の費用総額が最大限では2500億円に及ぶことを解明しましたが、今回は武道授業の費用対効果について考察します。

 私は武道必修化に反対なのではなく、武道がハコモノ行政と結びついて巨額の費用を伴って遂行されている現状を憂いているのですが、ハコモノ行政の最大の問題点は、多額の費用が投下されながらも、そこから得られる便益がきちんと分析されないまま放置されがちなことにあります。1棟4500万円をかけて作られた武道場で、費用に見合った授業がきちんと行われているのでしょうか。

 私は作ったはいいけど使われていない武道場が全国に多数存在しているのではないかという疑問を持っています。特に総合武道場(柔剣道場)では、柔道か剣道のどちらかしか行われていないという状況は日常茶飯事なのではないかと思います。何故なら、「連載第2回」で書いた通り、授業でどの武道を選択するかに関わらず建てられるのは大部分が柔剣道場ですので、柔道を選択した学校では剣道場、剣道を選択した学校では柔道場を使わないという事態が当然発生すると思われるからです。武道授業での複数種目実施率(同一校で柔道と剣道の両方を履修するなどの比率)は6%程度しかありません(月刊武道 2015年12月号)ので、どちらかの道場を使わないというケースが発生するのは必然です。

 特に授業で剣道を選択した中学校では、本来なら体育館で実施可能な剣道授業が、わざわざ4500万円もかけて建てられた総合武道場の剣道場部分で行われているということになります。一方、柔道場部分は使われずに放置されることとなります。

◆既存柔道場が使用されず、ゴーストタウン化しているケースも?

 名古屋市には109の公立中学校があり、その内、96.5%の105校に武道場が設置されています(櫻井美子,神奈川大学,2013年3月)が、その全ては総合武道場です(月刊武道 2015年6月号)。名古屋市では1992年までにこれらの武道場が設置され、全国でも武道場整備の非常に早く進んだ自治体でした。

 ところが近年の調査では名古屋市の武道必修授業で柔道を選択している中学は5校(月刊武道 2015年12月号)、部活動で柔道を行なっている中学も5~6校(櫻井美子,神奈川大学,2013年3月)しかないことが分かっています。この授業と部活動で柔道を行なっている中学は重複している可能性があります。もしそうなら、総合武道場がある中学105校の内、数字上では柔道場部分は約5%の学校でしか使用されていないという計算になります。これを無駄と言わず何と言いましょうか。

 共産党の国会議員が名古屋市の中学校授業で剣道の選択が多く柔道の選択が少ない理由について名古屋市教育委員会に質問したところ、「よく分からない」と答えたとのことですが、武道必修化直前に東海地方で柔道の重大事故が複数件起こったことと関係があるかもしれません。愛知県、岐阜県、三重県は柔道の選択率が全国平均よりかなり低いことが分かっています。

◆柔道重大事故多発問題が授業内容に影響し武道場の費用対効果が低下

 武道場の使用状況だけではなく、武道必修授業の内容にも問題があります。本稿連載では授業の内容は武道必修化費用問題というテーマからは外れるのですが、授業の内容が武道場の費用対効果を低下させている一つの要因となっていますので、関連性の高い部分について記述します。

 2010年に柔道の重大事故多発のデータが発表されて以降、2012年の中学校武道必修化へ向けて、授業の安全性に対する懸念が広がり、各地の教育委員会は乱取りの禁止や頭部を打つ危険性のある技の制限など、指導内容を大幅に規制する方針を固めました。それにより柔道の技術の体系的な学習が非常に難しくなりました。柔道は全国の中学校の2/3近く(64.8%=月刊武道 2015年12月号)が選択し、「武道必修化の成功のカギは柔道が握る」と言われるだけに、この事態は大きなダメージとなっています。

◆年10日の柔道授業では乱取りは無理というのが共通認識

 柔道の受け身の習得に要する日数は「1~2週間で十分」とする人もいますが、「2~3か月は必要」とする人もおり、明確に定義付けられていません。しかし、柔道事故の法律の判例では短期間の受け身の稽古では不十分として指導者の過失責任が問われるケースがあり、年10時間程度(平均9.8時間=月刊武道 2015年12月号)の柔道授業では乱取りをするのは非常に難しい状況です。柔道界に精通したある医師も、柔道授業での乱取りの実施には否定的です。教育者としての経験豊富なある柔道界の識者も同様の意見を述べていました。このように、柔道授業では乱取りはほぼ行えず、受け身が不十分である以上、危険性のある技の練習も当然制限されます。

◆教育の費用対効果について武道必修化も調査の俎上に載せるべき 

 近年では、教育の費用対効果についても盛んに論じられるようになりました。「教育にエビデンスのある政策を!」という声が挙がっており、費用便益分析、重要業績評価指標(KPI)や教育経済学などの様々な視点で、多くの学者や教育関係者が持論を展開しています。

 東京都初の民間出身者として公立中学校の校長を務めた藤原和博さんは民間企業のコスト意識を義務教育に持ち込んだことで有名ですが、面白いと思ったのは、藤原さんが義務教育の授業1コマを単価計算したことです。義務教育には児童生徒1人あたり年間百万円の税金が投与されるそうで、どの学校でも年間千コマほどの授業が行われているので、百万円を千コマで割ると、「1人1コマ千円」という非常に分かりやすい値段となるそうです。標準的な40人学級では1コマ当たり「千円×40人=4万円」ということになり、授業1コマが4万円の価値を持たなければ教師は不合格ということです。

◆「かえって武道嫌いが増える」教育内容

 安全的見地のみから「受け身だけでいい」「寝技だけでいい」「礼儀と教えだけでいい」など極端に偏ったことを言う柔道指導者の授業に4万円の価値があるとは到底思えません。文部科学省は「武道は触れてみて良さがはじめて分かる」(毎日新聞 2007年9月5日付)と呑気な事を言っていますが、現在の指導内容のままでは「かえって武道嫌いが増える」と懸念する声すら上がっています。

 受け身だけでは単調でつまらないでしょうし、寝技だけでは身体的接触が多いので、特に女子は嫌悪感を示すでしょう。寝技だけを指導する中学が18.8%、寝技を学んでから投げ技を学ぶ中学が60.8%もある(本村清人他 2015年3月)とのことですが、そもそも寝技偏重の柔道は嘉納治五郎の教えに反します。礼儀と教えだけとは何をかいわんやで、そんなものが楽しいわけがありません。

 ちなみに、スポーツ庁が武道の指導成果の検証のために生徒に行ったアンケート調査で、「武道の授業は好きですか」という質問をしたところ、肯定的な回答(そう思う、だいたいそう思う)は柔道60%、剣道54%、相撲52%と低い比率に止まりました(月刊武道 2016年4月号)。この割合を7~8割へと上げていかない限り、武道授業の成功は覚束ないでしょう。

◆武道授業は抽象的な精神論重視ではなく、「教科の目標」を達成せよ

 文部科学省は「生きる力の向上」「伝統と文化の尊重」「相手を尊重し敬意を払う」「人間としての望ましい自己形成を重視する」とかどうにでも受け止めることができる抽象的な表現を用いて学習指導要領や武道必修化の目的を語りがちなため、武道徳育論者は「道徳の代わりに武道が教科になった」「武道授業は点数化しない方が良い」「武道必修化の狙いは人づくり」とか、武道授業を道徳の授業と同一視する発言を繰り返しており、教育の現場を混乱させています。僅か年10時間程度の授業で文科省や武道関係者が礼儀や武道精神が身に付くと思っているのなら、とんだお笑い草です。

 ちなみに多少横道にそれますが、「道徳の代わりに武道が教科になった」という趣旨の発言は、義家弘介文部科学副大臣もしています。副大臣就任以前の発言ですが、「道徳を教科化すると価値観を押し付けるのかと大騒ぎになる。ならばこれは過去から日本がずっと大事にしていた武道を、世界中が注目する武道をしっかりと公教育の中で教える必要があるだろうと武道を必修にした」(Yu:文化と教育の総合サイト ヤンキー先生が斬る!!vol.34 2012年5月25日)と語っているのです。

 武道授業の「道徳代用論」を唱える義家副大臣の予想に反して、文科省は2015年3月、今まで教科外の活動という位置付けであった道徳の授業を2018年度以降、点数化を行わない「特別の教科」に格上げすることを決めました。それならば、道徳の代用として必修となったという武道は必修から外れて「御役御免」とならなければ辻褄が合わなくなりませんか?

 本論に戻りますが、武道の授業の「教科の目標」とは、本来の武道の機能的特性が「競争型(勝敗を競う面白さを味わう)」、「達成型(技を身に付ける喜びを味わう)」であることを理解した上で、それに準拠した指導内容を提供することと、生徒自身に楽しさ体験を与えて、武道をやりたいという内発的動機付けを芽生えさせることに他なりませんが、それが蔑ろにされています。これは明らかに費用対効果の低い授業です。

 次回はいよいよ中学校武道必修化費用問題を総括します。

<取材・文/磯部晃人(フジテレビ)>

【中学校武道必修化の是非を問う 連載第5回】

ハーバー・ビジネス・オンライン

最終更新:7/8(金) 9:10

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TEDカンファレンスのプレゼンテーション動画

北朝鮮からの脱出
北朝鮮での幼少時代、『ここは地球上最高の国』と信じていたイ・ヒョンソだったが、90年代の大飢饉に接してその考えに疑問を抱き始める。14歳で脱北、その後中国で素性を隠しながらの生活が始まる。 これは、必死で毎日を生き延びてきた彼女の悲惨な日々とその先に見えた希望の物語。そして、北朝鮮から遠く離れても、なお常に危険に脅かされ続ける同朋達への力強いメッセージが込められている。