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“控えGK”のメンタル術 元日本代表が語る心構えとチームにもたらす影響

THE ANSWER 7/9(土) 18:30配信

東京VのGKコーチ土肥氏が語る“三番手”の使命と美学

 サッカーの世界において、GKは特殊なポジションだ。フィールドに立つ11人の中で唯一手を使える選手であり、自陣ゴール前に陣取りながら相手が繰り出してくる様々な攻撃を“最後の番人”としてはね返していく。

 技術だけでなく、ゲームの流れを読むための経験や精神面の充実が欠かせない彼らは、わずか1つのポジションを巡って、日頃からチーム内で熾烈なレギュラー争いを繰り広げている。フィールドプレーヤーであれば「10人」がレギュラーとして出場可能で、複数ポジションをこなすマルチな才能を発揮したり、負傷者が出た場合などの緊急時に本職ではない位置にコンバートされてプレーすることもあるが、専門性の高いGKではそうした例はプロの世界ではほとんどない。

 つまりGKはGKとして生き、たった1つのポジションを勝ち取るしかないが、チームを率る監督としては失点に直結するポジションだけに、一度レギュラーの選手を決めると、守備陣との連携構築も考慮して固定する傾向が強くなっている。GKの序列が崩れる時――それはチームが連敗などを喫して状況の変化が必要になった時、もしくはレギュラーGKが故障や累積警告などのアクシデントで離脱を余儀なくされた時など、チームにとってネガティブなアクシデントによるものが多い。

 自らのモチベーションを保ちながら、チームの和を乱さずに、いかにしてわずか1つのレギュラーポジションの獲得を目指していくのか。この難しいミッションを乗り越える方法論を、クラブでは正守護神の座を守りながら、日本代表では「第3GK」という立場を経験した土肥洋一氏が答えてくれた。メンタル面における現実との向き合い方は、多くのサッカー少年はもちろん、ビジネスマンが組織の中で直面する難問の答えにも重なるはずだ。

「負けたくない」気持ちがもたらす好影響

 土肥氏は1992年に大津高から日立製作所(現・柏レイソル)に入団。2000年に加入したFC東京で長年守護神を務め、08年に東京ヴェルディ1969に移籍後も正GKの座を守った。2012年シーズン終了後に現役を引退し、育成組織の指導者を経た後、14年シーズンの途中から東京VのGKコーチに就任している。また日本代表ではジーコ元監督から絶大な信頼を手にし、04年アジアカップで優勝を経験。そして06年ドイツ・ワールドカップ日本代表にも名を連ねた。ただし、日本代表でプレーする機会はほとんど訪れず、その立ち位置はほぼ「第3GK」という立場だった。

 土肥氏は、日本代表における自身の経験を振り返りながら、控えGKの心構えについて次のように話している。

「控えGKは数少ないチャンスの中で100%以上の力を出して、信頼を勝ち取らなければならないんです。序列に対して特別な思いは持たずに、平常心で日々のトレーニングに臨んでいました。そのなかでナラ(楢崎)や(川口)能活と一緒に練習する時は、常に『絶対に負けたくない』と思っていましたから」

 サブと言えども、もちろんポジションを争うレギュラーへの遠慮は禁物だ。ジーコジャパンでは当時、楢崎正剛(現・名古屋グランパス)、川口能活(現・SC相模原)というふたりの絶対的な守護神がいた。土肥氏は日本代表として4試合出場の経験を持つが、当時の立ち位置は「3番手」と言えるもの。しかし、代表で過ごす日々の中で、自分自身を3番手と決めつけることはあえてしなかったという。

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最終更新:7/9(土) 18:39

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