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日本を代表する海の民が山中深く分け入ったわけ!?

BEST TIMES 7/10(日) 6:00配信

常に新たな視点を持ち、従来の研究では取り扱われなかった古代史の謎に取り組み続けてきた歴史作家・関裕二が贈る、日本人のルーツを探る異端の古代史シリーズ! (現在第7弾まで発売中)その中でも厳選したテーマを紹介いたします。

謎の一族、信濃の安曇氏!! 

 最近気になって仕方ないのは、九州と信濃の安曇(阿曇)(あずみ)氏だ。 
    邪馬台国(やまたいこく)が登場する直前まで、北部九州の中心的存在は奴国(なこく)(福岡市)だったが、安曇氏はその奴国を拠点にし、玄界灘(げんかいなだ)を股にかけて朝鮮半島にも渡っていた海の民だ。
   たとえば『後漢書(ごかんじょ)』東夷伝(とういでん)には、一世紀の半ば、倭の奴国(なこく)が後漢に朝貢(ちょうこう)したこと、光武帝(こうぶてい)が冊封(さくほう)し、金印を授与したとある。この金印こそ、教科書にも載る「志賀島(しかのしま)の金印」だ。

 ヤマト建国の直前まで、「倭人を代表する集団」を束ねていたのが安曇氏の祖であろう。
    日本列島でもっとも富を蓄え、強大な発言力を有していたはずなのだ。
   ところが、ヤマト建国後、安曇氏は歴史の大舞台にほとんど登場していない。
    白村江(はくすきのえ)の戦い(六六三年)で安曇比羅夫(ひらぶ)が登場するぐらいだろうか。いったい彼らはどこに消えてしまったのだろう。もしかつて信じられていたように、邪馬台国が東遷(とうせん)してヤマトになったのなら、安曇氏の末裔はもっと中央で活躍していたはずではないか。
    それでなくとも、弥生時代の「倭を代表する奴国」の末裔の活躍がそのあと見られないというのも不思議なことだ。
   その一方で、安曇氏は、方々に散らばって足跡を残している。「渥美(あつみ)」や「熱海(あたみ)」も、安曇氏と関わりがあるらしい。「志賀島(福岡市)」が安曇氏の発祥の地だが、「滋賀県」も「志賀」と関わりがありそうだ。滋賀県の琵琶湖には安曇川が流れこむ。

 水辺だけではない。山中にも深く分け入っている。それが、観光地として知られる安曇野(長野県安曇野市)だ。街の中心部に鎮座するのが穂高(ほたか)神社で、安曇氏の祖神を祀っている。奥宮(おくみや)は上高地(かみこうち)の明神池(みょうじんいけ)で、さらに標高三一九〇メートルの奥穂高岳の山頂に嶺宮(みねみや)が祀られている。

 日本を代表する海の民が、各地の海岸地帯に移住していったという話は、当然のことと思う。ではなぜ、山中深く分け入ったのだろう。
   いくつも理由があると思う。
   まず、海の民は「まっすぐ伸びた巨木」を求めていたということだ。もちろん、木を刳(く)り抜いて船(丸木舟)を造るためだ。また、海の民は山を目印に航海をした(山アテ)ので、山の神を大切に祀ってきた。さらに、七世紀まで大切な神宝として守られ、朝鮮半島にも輸出された硬玉(こうぎょく)ヒスイの産地(新潟県糸魚川(いといがわ)市)を支配する目的があったのかもしれない。

『卑弥呼  封印された女王の鏡 異端の古代史(2)』

文/関 裕二

最終更新:7/10(日) 6:00

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