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巷にはびこるニセ科学、どうすれば根絶できるのか?

JBpress 7/14(木) 6:10配信

 すっかり旧聞に属することだが、かつてテレビ番組で紹介された納豆ダイエットなるものが話題になった。

 確かに納豆は体に悪くはないだろう。しかし、積極的なダイエットになるかどうかはまた別の話である。そのときに問題となったのは、実験と称したものが、実際には適切に行われておらず、ねつ造だった点である。また、海外の科学者の発言も翻訳に際して脚色されていた。

 いまさら取り立ててその番組内容を云々するつもりはないのだが、あの騒動は、ある意味で科学と社会の関係を象徴しているような気がしてならない。

 あの番組では、「科学的なデータ」とか「科学者」という言葉が、番組の内容に信頼性(この場合は「信憑性」の語をあててもよいかもしれない)をもたせるために安易に利用されていた。そして視聴者もその誘導に乗り、納豆を買いに走った。これは、番組を作る側と視聴者の側双方の問題をえぐり出した。

 そこで思う、日本は科学技術先進国とされているが、国民の大多数の科学理解度(科学リテラシー)は、はたしていかほどのものなのだろうかと。

■ 高校の理科教育

 日本学術会議は、2016年2月に提言「これからの高校理科教育のあり方」を公表した(http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-23-t224-1.pdf)。

 これは、社会の健全な発展を図るためには科学技術の専門家と言われる人々だけでなく、万人が科学技術のあり方を正しく理解し、うまく活用していくことが不可欠との前提の下に、その実現に近づくために必要な高校理科教育のあり方を論じたものである(筆者はその素案を2年にわたって議論した小委員会に委員の一員として参加してきた)。

 なぜ高校理科教育なのか。文部科学省の平成26(2014)年度の調査によれば、高等学校の進学率は98.4%、大学進学率は53.8%である。そして大学の、いわゆる「理系」と呼ばれる学部に在学する学生の割合は全体の29.3%となっている。つまり大多数の人にとっては、高校が、理科をきちんと学ぶ最後の機会なのだ。

 高校理科では、物理・化学・生物・地学の4領域(教育業界ではこれを「物化生地」と呼び習わしている)が設定されており、これを万遍なく学べば、社会に出るにふさわしい科学リテラシーが身につく、ということになっている。しかし、この4領域すべてを履修する生徒は、理系の大学に進学する生徒のなかですら少ないという(現状は、3領域以上の履修を奨励している)。

 現実問題として、すべてを履修する時間がないということもある。しかしそれ以上に問題なのは、領域ごとに教科書は別々であり、それぞれ異なる教員によって別個に教えられていることだ。これは、細分化すると同時に新たな融合領域もダイナミックに出現している現代の科学技術の現状と大きく乖離している。そこで学術会議では、4領域の基礎科目を統合した必修科目「理科基礎(仮称)」の新設を提言した。

 ここで思い出すのは、英国の著名な動物行動学者オーブリー・マニングのことだ。彼はエジンバラ大学を退職後、BBCから科学ドキュメンタリーのキャスター役のオファーを受けた。そこでマニングが選んだのは、動物学でも生物学でもなく、地形と地誌に関する「地球の物語」という番組だった。

 かつてその理由を本人に聞いたところ、じつに明快な答が返ってきた。「だって、地球があってこその我々じゃないか」というのだ。まず地球のことを知らなければ話にならないというのである。科学を学ぶとは、まさにそういうことなのだと目から鱗の思いがしたことを覚えている。

■ 科学教育を巡る議論

 さてそれで、日本の高校理科の現状を振り返るに、上述のごとく、旧態依然のたこつぼ教育が踏襲されている感が否めない。

 6月4日、学術会議の提言を踏まえたシンポジウムが開かれた。高校理科の実務に携わる関係者も参加して議論が交わされたのだが、総合的な理科基礎を設定するとして、教科書はどうするのだ、誰が教えるのだ、時間のやりくりはどうするのだという現実論が目立った。

 理想論としては理解できるが、現実問題としては実現が難しいというのだ。「理科基礎」としてどのような内容が必要かという議論に向けて一歩踏み出そうとした主催者側の目論見は、足踏みを強いられてしまった。

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最終更新:7/14(木) 6:10

JBpress

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