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夏目漱石、ケーベル先生の送別会に出席するがまさかの事態に!【日めくり漱石/7月15日】

サライ.jp 7/15(金) 7:10配信

今から102 年前の今日、すなわち大正3年(1914)7月15日、47歳の漱石は晩餐の招待を受け、東京・駿河台のケーベル博士宅を訪問した。安倍能成、深田康算とともに晩餐に招待されていた。

ケーベルはドイツ人哲学者。明治26年(1893)に来日し、東京帝国大学で西洋哲学を講じていた。安倍能成と深田康算はその薫陶を受けた哲学者であり、漱石も大学院で講義を受けたことがあった。

来日から20年以上が経過し、ケーベルはようやくドイツへ帰る決心を固めていた。船の便も8月12日横浜発の日本郵船と決め、惜別の意味でこの晩餐会を催したのであった。ケーベル宅に住み込んでいる書生の久保勉も、ともに食事の席を囲んだ。

ケーベルは超俗的な人格者だった。

漱石が「国に帰って朋友がありますか」と問うと「北極と南極以外にはどこでも友人がいる」と応じ、「なぜ日数のかかる日本郵船を選んだのですか」と尋ねると「速いばかりが便利だと考える人の気が知れない」と答えるのだった。また、ある蓄財家のことに話が及ぶと、「あんなに金を貯めこんでどうする了簡だろう」と苦笑するのだった。

ケーベルは、離日に際し教え子たちに「左様なら御機嫌よう」という言葉を伝えたいので記事にしてほしい、と漱石に頼んだ。

漱石は了承した。約束通り『ケーベル先生の告別』と題する記事を書き、出国する8月12日の朝日新聞に掲載すべく手配した。

《ケーベル先生は今日日本を去るはずになっている。(略)先生は影の如く静かに日本へ来て、また影の如くこっそり日本を去る気らしい》《私が十五日の晩に、先生の家を辞して帰ろうとした時、自分は日本を去るに臨んで、ただ単簡(たんかん)に自分の朋友、ことに自分の指導を受けた学生に、「左様なら御機嫌よう」という一句を残して行きたいから、それを朝日新聞に書いてくれないかと頼まれた。(略)先生に恙(つつが)なき航海と、穏やかな余生とを、心から祈るのである》

ところが、このあととんでもないことが待ち受けていた。折から勃発した第1次世界大戦のため急に帰国が困難となり、ケーベルは横浜の友人宅に足止めされてしまった。そして、そのまま帰国が叶わぬうちに、とうとう没してしまったのだった。

なんという運命の悪戯だろうか。

このケーベル宅の食卓に載っていたという洋風カキアゲを、博士お抱えの料理人だった堀口岩吉が創業した神田の洋食店「松栄亭」で、いまも味わうことができる。漱石もケーベル邸でこれを口にしたのではないか、と伝えられている。

「松栄亭」を訪れ、漱石とケーベルの時代、ふたりの交流に思いを馳せてみるのも悪くない。

■今日の漱石「心の言葉」
運命は神の考えるものだ(『虞美人草』より)

Web版「夏目漱石デジタル文学館」
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館。同館のサイトに特設されている「Web版 夏目漱石デジタル文学館」では、漱石自筆の原稿や手紙、遺愛品、写真など漱石にまつわる貴重な資料画像を解説付きで公開しています。

県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。最新刊に、『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)がある。

最終更新:7/15(金) 7:10

サライ.jp

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