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奥州連合離脱(前編)――東北諸藩の戊辰戦争

本の話WEB 7/17(日) 12:00配信

 節子、それ奥州連合とちがう、奥羽越列藩同盟や。という声が聞こえるが気にしない。ダジャレありきのこのコラム(え?)で、こんなウッテツケの時事ネタを見逃すわけにはいかないじゃないか、なあ?

 というわけで戊辰戦争である。戊辰戦争といえば関西から北海道までを巻き込んだ、日本有数の内乱だ。範囲が広いだけに、小説はどこかに焦点を絞っていることが多い。鳥羽伏見の戦い、江戸開城と彰義隊、北越戦争、会津戦争、箱館戦争。うん、総じてクライマックスは会津落城かな。

 でもね、東北地方で戦ったのは会津だけじゃないんだよ、東北が一丸となって西軍を迎え撃ったんだよ。それが奥羽越列藩同盟である。そして奥羽越列藩同盟を中心に戊辰戦争を東北全体の戦争として描いたのが、船戸与一『新・雨月 戊辰戦役朧夜話』(徳間文庫)だ。

 西軍は江戸開城後、ターゲットを会津・庄内の二藩に据えた。江戸の薩摩藩邸を焼き討ちした庄内藩と、京都で長州が煮え湯を飲まされた会津。薩長にとって、この二藩だけは捨て置けなかったから。そこで西軍は、仙台藩をはじめとする奥羽諸藩にこの二藩を攻撃するよう要請する。

 さあ困った。だって奥羽諸藩は、できれば会津・庄内を助けたいと思っていたから。だから兵を侵攻させるフリだけして、西軍に助命嘆願書を出したり、水面下で会津に「俺も一緒に頭下げてやるから、ここは謝っちゃえよ!」と説得したりしてたのだ。奥羽諸藩の目的はひとつ、「戦争はしたくない」だった。

 だが、そんな奥羽諸藩をブチ切れさせる事件が起きる。西軍の奥羽鎮撫総督下参謀・世良修蔵が同じ下参謀の大山格之助に送った密書を、仙台藩が入手したのだ。そこには衝撃的な一言が書かれていた。「奥羽皆敵」。

「おめたづおだずなよっこの!」

 そりゃ仙台藩怒るわ。なんとか穏便に会津と西軍を取り持とうと努力してたのに、「奥羽皆敵ト見テ逆撃之大策ニ至度候ニ付(奥羽は本来すべて朝敵なんだからまとめて討っちゃおう)」なんて書いてあったんだもの。しかも、仙台と米沢は大藩だけど士気が弱いからチョロいよ、なんてことも書かれていたのだ。

 仙台藩にしてみれば「テメェなめんなよコラァ!」だろう。地元の言葉なら「おめたづおだずなよっこの!」だ。「何にも言わねど思って、てーげにすねどごしゃぐど! そっちがそいなぐ出んなら、いいが? みでろよ、しゃねがらな!」てなもんだ。なお、仙台弁監修はライターの井上マサキ氏とその御令妹様です。軽い気持ちで頼んだ翻訳に、予想を超える仕上がりでお答えいただきありがとうございました。意味わかる?

 辛抱堪らず、仙台藩の瀬上主膳らが世良修蔵を殺害。『新・雨月』で仙台藩軍事奉行の但木土佐が、世良のおおっぴらな誅殺を「奥州人気質」と評したのが印象的だった。これが薩摩や長州なら「藩としての行動ではなく、頭に血の昇った脱藩浪人の勝手な先走りだとして言い逃れの余地を残す」と。こんなところにも藩の性質が表れている。

 補足しておくと、世良修蔵については中村彰彦「上役は世良修蔵」(文春文庫『禁じられた敵討』所収)や司馬遼太郎「斬殺」(文春文庫『故郷忘じがたく候』所収)で痛烈に批判されている一方、藤沢周平は『雲奔る 小説・雲井龍雄』(文春文庫)の中で「彼は彼なりに武力征討を信じて死んだのだ」「世良の死は哀れで、殺さなくともよかったのでないか」と雲井龍雄に述懐させている。こういう比較も歴史小説の面白さだよね。

 とまれ、世良を殺したことで、後戻りはできなくなった。奥羽25藩は翌5月に奥羽列藩同盟を結成。長岡藩や新発田藩など北越6藩も加盟し、31藩による「こっから先には西軍入れねーぞ!」という奥羽越列藩同盟が誕生した。かくして東北全面戦争の火蓋が切って落とされたのである。

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最終更新:7/17(日) 12:00

本の話WEB