ここから本文です

夏目漱石、ついに2年がかりの連載『吾輩は猫である』を書き終える。【日めくり漱石/7月17日】

サライ.jp 7/17(日) 7:10配信

今から110 年前の今日、すなわち明治39年(1906)7月17日、39歳の漱石は書き進めていた原稿を「難有い々々々。」と結んで筆を擱いた。『吾輩は猫である』(十一)の原稿の末尾だった。物語の主人公たる猫は絶命。これで、2年前の12月から稿を起こし、好評を得て書き継いできた処女作の全編が、とうとう完結したのだった。

改めて見る、その中の一節。

《今の世は個性中心の世である。(略)あらゆる生存者が悉く個性を主張し出して、だれを見ても君は君、僕は僕だよといわぬばかりの風をするようになる。(略)人から一毫も犯されまいと、強い点をあくまで固守すると同時に、せめて半毛でも人を侵してやろうと、弱い所は無理にも拡げたくなる。こうなると人と人の間に空間がなくなって、生きてるのが窮屈になる》

《文明が進むに従って殺伐の気がなくなる、個人と個人の交際がおだやかになるなどと普通いうが大間違いさ。こんなに自覚心が強くって、どうしておだやかになれるものか。なるほどちょっと見ると極しずかで無事なようだが、御互の間は非常に苦しいのさ》

まるで二十一世紀の現代社会を見透して批評しているような言葉である。

原稿を書き終えた漱石は早速、『ホトトギス』編集人の高浜虚子に脱稿を知らせるとともに、門弟の小宮豊隆へも手紙を書いた。曰く、

《猫の大尾をかいた。(略)文章もかき上げると愉快だがかいてるうちは苦しいものだ。胃が堅くなる。外の事は何にも考へられなくなる。一大心配が出来た様な気がする》

漱石ほどの作家、かつ自由闊達に筆を踊らせたかに見える作風の作品でも、やはり創作には喜びとともに相当の苦しみが伴っていたのである。

単行本『吾輩は猫である』下編の裏表紙。心なしか猫の姿にも哀愁が漂う。刊行は雑誌連載の脱稿から10か月後の明治40年5月だった。神奈川近代文学館所蔵
単行本『吾輩は猫である』下編の裏表紙。心なしか猫の姿にも哀愁が漂う。刊行は雑誌連載の脱稿から10か月後の明治40年5月だった。神奈川近代文学館所蔵
作中の猫は成仏しても、夏目家の猫は健在である。まだ漱石やその家族が、東京・千駄木の家に住んでいた明治37年(1904)初夏にその家に迷い込んでから、2年余の歳月が流れている。

この猫は結局、最後まで名前のないまま、明治41年(1908)9月まで生きた。猫が亡くなると、漱石は門弟たちに宛てて墨の黒枠で囲んだ「猫の死亡通知」を書き、庭の墓標には哀悼の意をこめこんな一句を書き記している。

《この下に稲妻起る宵あらん》

■今日の漱石「心の言葉」
猫の大尾をかいた。読んでくれ玉え(『書簡』明治39年7月17日より)

Web版「夏目漱石デジタル文学館」
夏目漱石に関する資料を数多く所蔵する県立神奈川近代文学館。同館のサイトに特設されている「Web版 夏目漱石デジタル文学館」では、漱石自筆の原稿や手紙、遺愛品、写真など漱石にまつわる貴重な資料画像を解説付きで公開しています。

県立神奈川近代文学館
住所/横浜市中区山手町110
TEL/ 045-622-6666
休館/月曜

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『こぼれ落ちた一球 桑田真澄、明日へのダイビング』(日本テレビ)『石橋を叩いて豹変せよ 川上哲治V9巨人軍は生きている』(NHK出版)など多数。最新刊に、『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)がある。

最終更新:7/17(日) 7:10

サライ.jp

Yahoo!ニュースからのお知らせ