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萩原次晴さんが語る兄との秘話 “おまけの扱い”覆した競技人生の集大成

THE ANSWER 7/17(日) 18:35配信

比べられることはマイナスではない―

 競技に打ち込む上で人と比べられることは、決してマイナスにはならない――。元スキー・ノルディック複合日本代表で長野五輪に出場した荻原次晴さんが現役時代に五輪で2度の金メダルに輝いた双子の兄・荻原健司さん(現北野建設スキー部部長)と常に比較され続けたことを振り返り、モチベーションを高める“秘訣”について語った。

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 次晴さんは幼少時代、健司さんとともに体操教室に通い、器械体操に励んでいた。それが小学校5年生の頃、次晴さんが先にスキージャンプに出会い、その1シーズン後に健司さんもスキージャンプの世界へ。中学校からは兄弟でノルディック複合に戦いの場を移すことになった。

「所詮、群馬県草津市の子供。ジャンプでは北海道の選手に比べると差は歴然で、全国レベルでは勝てないと思いました。競技人口が少ないノルディック複合なら全国で勝てるかも、と考えました」(次晴さん)。練習は厳しく、嫌で嫌でたまらなかったというが、少しずつ成績も向上し、中学1年時にはすでに群馬県代表として全国大会に出場。その際は健司さんは出場できなかったという。

「そこから健司が本気になりました。金メダリスト荻原健司が誕生するきっかけを僕が作ったといっても過言ではありません」

兄と間違われてサインを求められることも

 中学3年時には、揃って出場した全国大会で健司さんが優勝、次晴さんが準優勝。そして高校時代にはともに日本代表ジュニアチームメンバーに選出されるなど将来を嘱望されるようになった2人だが、早稲田大学入学後、対照的なキャリアを歩むようになったという。

 次晴さんは大学時代スキー部に所属しながらも、「学校にも行かず、トレーニングもしない」時期があったという。一方で健司さんは対照的に日々、厳しい練習を積み重ね、1992年アルベールビル五輪で団体金メダルを獲得。W杯でも個人総合3連覇を果たすなど「キング・オブ・スキー」の異名を取るようになった。

「当時の健司フィーバーは、今にたとえると、羽生結弦さん、石川遼さん、浅田真央さんと同じくらいですね。かなり有名人。健司と間違われて『サインをしてくれ』と言われるんです。それは弟として誇りでもあったんですが(笑)、その数がものすごく多くて、自分は弟なんだと断った時に『なんだよ、ニセモノかよ!』と文句を言われた時に目覚めましたね。この世の中には『荻原次晴』っていう人間が存在しているんだと証明するためには、オリンピックに出るしかないと思い、挑戦するきっかけができました」

 そして次晴さん自身、2年後のリレハンメル五輪出場を目指し、色々なものを犠牲にして全てをスキーに捧げるようになった。ゴールを決めたことで、トレーニング計画も立てやすく、成績は右肩上がりに上昇。日本代表選考直前まで、健司さんを上回る成績を収めるなど好調を維持し、五輪出場が手に届くところまで来ていた。

 しかし、不透明な選考基準で、落選――。それでも、これが一度火がついた闘志を一層燃え上がらせるきっかけとなったという。

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最終更新:7/17(日) 18:35

THE ANSWER

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