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前作から20年『インデペンデンス・デイ:リサージェンス』の政治性をどう捉える?

リアルサウンド 7/19(火) 12:41配信

 地球を侵略しようとするエイリアンと人類の戦いを描いた娯楽大作『インデペンデンス・デイ』の公開から20年が経った。『インデペンデンス・デイ』 といってまず浮かぶのは、ミニチュア撮影とCGを組み合わせた、地球に飛来するエイリアンの超巨大宇宙船と、大迫力の都市大破壊だろう。この映画の興行的成功は、それまでもSF映画を撮り続けてきたローランド・エメリッヒ監督の「大規模破壊表現」という、後の作家性を決定付けたといえる。その正統的な続編として、当時の出演者やエメリッヒ監督などが参加し、再び地球をエイリアンに侵略させようと作り上げたのが、本作『インデペンデンス・デイ:リサージェンス』である。

 前作の人類存亡をかけた戦いから20年後、エイリアンの宇宙船などの残骸から得た技術で航空・宇宙技術が劇的に向上した人類は、月面基地を作って新たな脅威へ対抗するべく準備をすすめていた。そこに予想通り現れるエイリアンは、予想以上の規模で侵略を「再開(リサージェンス)」した。前作のエイリアン側の母船は、全長が東京~大阪間ほどの大きさという極端に大きなスケールが話題を呼んだが、今回の母船はアメリカ合衆国の東海岸から西海岸までをすっぽり包み込んでたっぷり余るくらい馬鹿でかいのだ。そこにあるのは、「でっかいことは善」という、ハリウッド・アクション大作主義のいささか前時代的な価値観だろう。

 20年という時の流れにより、スペクタクル場面の製作方法はCG主体に切り替わったが、巨大な宇宙船が地球の大気圏に突入するときに、その分厚い外壁が摩擦熱で壮大に炎上しながら突き進んでくる、キリスト教における世界の終末を思い起こさせる凄絶さは一見の価値があるだろう。対する人類側は、前作でエイリアンから奪った技術や武器で対抗しようとする。あくまで人類の力を駆使して戦った前作と比較すると、本作はより現実から離れSF的な方向に向かったといえる。とはいえ、基本的に描かれている内容自体は全く同じである。宇宙船の大きさについても、それが物語やテーマに影響を及ぼすようなことはない。また、ギャラの高騰などの理由によってウィル・スミスの再出演は果たせなかったものの、ジェフ・ゴールドブラムやビル・プルマンなど20年前の出演者たちが集まることで、作品にはあたたかな同窓会的雰囲気も加えられている。

 今回の続編企画が早い段階で実現できなかったというのは、もちろん様々な事情があるのだろうが、ひとつの要素として、2001年にアメリカ同時多発テロが起こったことが挙げられるだろう。前作のエイリアンの攻撃によって、アメリカの高層ビルをはじめ、同時に複数のランドマークや重要施設が爆発・破壊される描写は、その後の現実世界で起きた同時多発テロと共通する部分が多い。イラク戦争に発展していく緊迫した時勢のなかで、大勢の被害者を出しながら高揚感を与えようとする、この映画の脳天気さというのはさすがに場違いになるように感じられる。そのような状況下にあったエメリッヒ監督は、『デイ・アフター・トゥモロー』や『2012』のように、自然現象による都市の滅亡と被害に耐え抜く人々の痛みを描いていた。1996年の公開当時としても、アメリカが中心となって、世界が「アメリカ独立記念日(インデペンデンス・デイ )」に結束し、強大な軍事力を持つエイリアンに反撃するという内容は、そのご都合主義も含めて、荒唐無稽な娯楽映画だとしてもあまりに楽天的すぎるし独善的すぎるという指摘がされていた。一方、そのような反省も後ろめたさも何もない時代錯誤的な徹底ぶりが、明快で逆に面白いということで、当時の世界的ヒットに結びついたのも確かである。

 その『インデペンデンス・デイ』に非常に近しい映画がある。それは、1836年にアメリカのテキサス軍が守備する砦にメキシコ軍が攻め込み戦ったという史実を基にした、西部劇のスター、ジョン・ウェインが自ら主演と監督を務めた戦争映画『アラモ』である。守備隊の三人の英雄が、数や軍備において勝るメキシコ軍から砦を死守しようと壮絶な戦いを繰り広げ、ウェイン自身の訴えである愛国主義的なメッセージを含む演説が繰り返されたり、勇敢に戦死する描写もある。『インデペンデンス・デイ』は、ここにSF的な要素を盛り込み、完全なフィクションとして徹底的に娯楽化したものだといえよう。

 また、極悪エイリアンが相手であれば角が立たず商業的なリスクを負わずに済むという思いつきは、近年の、アメリカの都市でのテロ事件を想定した『世界侵略: ロサンゼルス決戦』や、ボードゲームが原作だといいながら太平洋戦争でのミッドウェー海戦を思い起こさせる『バトルシップ』などに影響を与えた手法だ。このような作品の政治的な部分について真面目に述べると、「観客はアメリカ賛美を割り切って面白がっている」とか、「この手の映画で無粋なことを言うな」と言われそうなのだが、実際、現代においてここまで露骨に無邪気なメッセージを与える「この手の映画」というのは、むしろ珍しくなってきているため、自然とそこに興味の焦点が集まるのである。

 アメリカ独立戦争を題材としたエメリッヒ監督の歴史大作『パトリオット』は、その題名が「パトリオット(愛国者)」であるように、愛国心を持った市民のあるべき姿がテーマになっている。面白いのは、このようにアメリカへの愛国的なテーマを追求していたエメリッヒ監督は、じつは映画監督としてドイツで成功してからアメリカへ渡って来た人物なのである。逆にいえば、彼はむしろアメリカの外から来ているからこそ、てらいのない愛国的テーマを、割り切った態度で打ち出せるのかもしれない。

 この20年間の社会状況の変化により、本作において様式的にポップ化し再現された前時代的無邪気さというのは、より陳腐化してしまったようにも思える。だが、現在だからこそ当時とは異なる意味合いでリアリティを獲得している部分もある。大統領選の共和党候補として支持を集めるドナルド・トランプ氏が唱える、メキシコ人に対する排外政策の精神的なルーツには『アラモ』への共感があるはずであり、本作もまた同じ根を共有しているからである。

小野寺系(k.onodera)

最終更新:7/19(火) 12:41

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