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Jリーグでは主流も、日本代表ではなじみの薄い4-4-2。基礎的なアイデアを持ち込んだオフト【西部の4-4-2戦術アナライズ】

フットボールチャンネル 7/20(水) 11:31配信

 多くのJリーグクラブが採用してきたにもかかわらず、それほど日本代表では採用されてこなかった4-4-2システム。はじめて4-4-2が導入されたのはオフト時代にさかのぼるが、それは昨今アトレティコが復活させたフラットな4-4-2とは直系関係にない布陣だった。(文:西部謙司)

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「代表も4-4-2でいいのではないか」

 長年Jリーグで指揮を執っているネルシーニョ監督にインタビューしたときに、こう話していたのを覚えている。

「Jリーグは多くのチームが4-4-2でプレーしてきたので馴染みも深い。代表も4-4-2でいいのではないか」

 当時の代表は4-2-3-1だったと記憶している。4-2-3-1は4-4-2と同系統のシステムなので、ネルシーニョは4-4-2に変えろと言ったのではなく、べつに今のままでいいんじゃないかぐらいのニュアンスの回答だったと思う。ところが、Jリーグでは主流といってもいい4-4-2は、日本代表ではあまり使われていない。フラット型の4-4-2となるとファルカン監督と加茂監督の初期ぐらいしかないのだ。

 日本代表に2トップが導入されたのは、石井義信監督の1987年からだった。それ以前は4-3-3が主流である。86年に就任した石井監督は森孝慈監督のチームを引き継いでいたが、87年の中国遠征で主力だった木村和司を外している。さらに4月に五輪予選(88年ソウル五輪)が始まると3-5-2にシフトしていった。ちなみに当時の日本代表の目標はワールドカップよりも五輪で、ほとんどがアマチュア選手。プロリーグ(Jリーグ)がスタートするのは6年後である。

はっきりとした守備をするための3バック

 木村の選外と3-5-2の導入は同じ文脈上にある。攻撃の最重要プレーヤーだった木村を外したのは、木村自身のコンディショニングの失敗によるものだ。しかし、攻撃の核を外したことでチーム全体が守備型へ変化していく。

「ことさら守備的にやったつもりはなかったが、相手に主導権を握られる展開が予想されたので、しっかり守備をしたうえでカウンターを狙う戦い方を考えた」

 石井氏は当時を振り返ってそう話していた。それは、「日本より個人技が下というチームがほとんどない」と認識していたからだ。

「日本よりも明確に個人技が下なのはカンボジア、ネパール、マカオぐらい」(石井氏)

 現在の感覚からすると信じられないかもしれないがそんなものだったのだ。アジアでの戦いでも相手にボールを握られる展開が予想される。まず守備固めは現実的な戦術だった。この時期は2トップが主流になっていて、対する守り方はゾーンの4バックかマンツーマンの3バックか。石井監督は「そのほうがはっきりする」という理由で3バックを採用している。五輪予選で中国と対戦するまで、インドネシア、タイ、ネパール、インドネシアとの8試合で7勝1分け、得点23、失点わずか1点のみ。守備は鉄壁といっていい。

 五輪出場をかけた中国との決戦は、アウェイゲームの1週間後にホームという予定だった。「アウェイで引き分ければ中国は内部分裂する」と石井監督は考えていた。日本はアウェーで1-0勝利、しかし第2戦は3週間後に延期されてしまう。1週間後では国立競技場 の使用ができず、収益性の問題から他会場案も見送られた。日本はホームで0-2と敗れ、石井監督は辞任した。

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最終更新:7/20(水) 16:26

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