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毎日を自分らしく、ポジティブに生きる人生の達人(後編) 『もうすぐ100歳、前向き。 豊かに暮らす生活術』 (吉沢久子 著)

本の話WEB 7/23(土) 12:00配信

中編より続く

単行本は折しも東日本大震災が起きた五か月後に刊行されたが、瞬く間に読者の心をとらえ、その後、版を重ね続けた。吉沢さんがたくましく戦争を生き延び、いつの時代も明るく前向きに生きてきたその姿勢は、多くの読者の共感を呼んだ。

――3.11のとき、みんな気持ちが下向きだったと思うんですよね。吉沢さんはあの時のこと、どのように覚えていらっしゃいますか?

吉沢 お友達の学校の卒業式に出ていたんですよね。生徒や父兄の方が何百人かいるでしょ。だから、自分のことよりもみんなをどうしたらいいか、そればっかりを考えていた。

――自分のことより、他の人のことを考えてらした。

吉沢 結局、あの日うちへ帰れず友達のうちに泊まったんです。自分は独り身だからすごく気が楽なんですけど、家族がいたら大変だなぁと思いました。でも私の甥が、私の居場所が分からないもんだから心配してくれていてね。だから、本当にああいうときっていうのは、人の気持ちがよく分かりますね。友達の家でも大事にしてもらって、有りがたかった。人間関係を大事にするのは大切な事だと思いました。

――福島で原発事故も起きましたね。

吉沢 私はもともと原発反対なんです。

――「むれの会」(月1回、自宅で開かれる勉強会)に高木仁三郎さん(物理学者。原子力発電の危険性を早くから説いていた)を招かれたこともおありですね。

吉沢 えぇ、18年くらい前に高木さんに来てもらいました。ああいう人間の手で始末ができにくいものを、あんなに気軽に使っちゃいけないっていう点からも反対なんです。原爆が広島に投下されたとき、被害にあった人は本当に大変だったけれども、何か助けるっていったって、何もできない。こういうものがあっちゃいけないっていう思いにかられました。そして実際、原発事故はチェルノブイリとかで起きていた。詳しい情報を何も知らせないで、しかも安倍さん(首相)なんか他の国に売って歩こうっていうわけでしょ。そのことに本当に腹が立って、じっとしていられなくなり、新潟日報(50年以上、連載コラムを執筆)に書きました。

――3.11が起きて、比べることではないかもしれませんが、戦争中のことを思い出されましたか?

吉沢 戦争のときのことは、あんまり情報が伝わってこなくて、状況がよく分からなかった。だって、同じ日本にいても、あの8月の原爆投下の日、わたしが何をしてたかって言えば、1月遅れの七夕をお友達とやってはワァワァ騒いでいたんです。原爆のことがすぐには分からなかった。「新型爆弾が落ちたそうだ」という程度の情報しか入ってこなかったんですね。あの戦争を体験した者としては、二度と戦争は嫌ですね。私は自分のためにもいやだし、みんなが不幸になるんですよ。だって今まで働いていた一家の働き手がふ~っと赤紙1枚で連れて行かれるでしょ。「あとどうしたらいいの?」って、残された者はそういう感じなんです。「抵抗できないで、そういうのってあるかしら」って腹が立ちましたね。

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最終更新:7/23(土) 12:00

本の話WEB

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北朝鮮からの脱出
北朝鮮での幼少時代、『ここは地球上最高の国』と信じていたイ・ヒョンソだったが、90年代の大飢饉に接してその考えに疑問を抱き始める。14歳で脱北、その後中国で素性を隠しながらの生活が始まる。 これは、必死で毎日を生き延びてきた彼女の悲惨な日々とその先に見えた希望の物語。そして、北朝鮮から遠く離れても、なお常に危険に脅かされ続ける同朋達への力強いメッセージが込められている。