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AKB48はメンバーの人生に何をもたらしたか? ドキュメンタリー最新作が描く“経験と糧”

リアルサウンド 7/23(土) 13:00配信

「私たちのAKBが終わった」

 序盤のあるシーンでブレイク期のAKB48を支えた卒業メンバーがそう述べたように、2016年のAKB48ドキュメンタリー『存在する理由 DOCUMENTARY of AKB48』は、高橋みなみのグループ卒業をひとつの区切りとして、世間的におなじみのメンバーが築いてきたおよそ10年の歴史「以後」をいかに見据えるかにフォーカスを当てている。この10年を振り返ることは、黎明期から巨大グループになるまでの組織の成長の歴史を紐解くものであると同時に、AKB48劇場や握手会に足を運んだ幼いファンたちが、やがてAKB48グループに加入し自らが実践者の立場になるという、継承のプロセスの確認でもある。

 本作はその過程を一歩ずつ確かめるように、若手メンバーから中堅、ベテランメンバーへと遡りながら、それぞれの2016年現在の足場を確認していく。まず展開される向井地美音や込山榛香、大和田南那ら15期生が見せる希望や葛藤は、新進メンバーとしての期待を背負うゆえのものだ。そこから三銃士と呼ばれた14期生の岡田奈々、小嶋真子、西野未姫らの現在地を描き、さらにはかつて新進・中堅の立場を担ったのち異なるフェーズに入った宮崎美穂や、JKT48移籍によって在籍チームのみならず自身を取り巻く文化さえ一変した中に置かれた仲川遥香や近野莉菜らの活動にスポットを当ててゆくことで、10年を経たAKB48グループが、そこに集うメンバーの人生にもたらす道程や紆余曲折の幅広さを物語ってゆく。向井地や込山、大和田、あるいは序盤にAKB48の歴史と継承とを印象づける役割を担ったNGT48研究生の西村菜那子らもまた、そうした紆余曲折へと身を投じていくのだ。

 このように見れば、本作は未来に向けたAKB48グループ内の継承の物語へと収斂していくかのように見える。ただし、このドキュメンタリーが同時に捉えていくのは、かつて在籍していたAKB48グループから離れ、大きく異なるステージで人生を歩む者たちの姿だ。AKB48とは別のジャンルや歩幅で芸能活動を展開させる者、飲食店を手がける者、その飲食店で共に従事する者、出産を経験し母親になった者。AKB48から離れ、芸能からも離れた元メンバーたちの姿もまた同じくこの10年の一側面として表現されていく。

 このバランスは、監督を務める石原真の資質によるものだろう。石原は昨年公開の『アイドルの涙 DOCUMENTARY of SKE48』でも監督を務めているが、SKE48の歴史を紐解く同作では、SKE48結成から公開時点までグループのメインストリームに居続けたメンバーも、すでに48グループから離れた者たちも、物語を推進する上で同等の大きさで切り取っている。グループ内のパワーバランスや知名度以前に、各人の人生の尊さという点において等価に扱うこと。それは今年の『存在する理由~』にも共通する、石原がAKB48グループを受け止める際の基本的な視野なのだろう。こうした視野をもって映画作りがなされているのは、単に在籍時を懐かしむためでもなければ、過去の出来事の答え合わせをするためでもない。現在、AKB48の「内側」の物語に関わっている人々だけではなく、過去のある一時点でグループの物語に携わった人々にとって人生の道程の一部としてあったAKB48は何をもたらせているのか。そのような問いが本作のバランスには内包されている。

 それは、内側の物語だけにとどまらず、アイドルシーンの中心としてのAKB48、あるいは社会的な存在としてのAKB48がどのようなものなのかということとも繋がっている。「外側」からの視野を求めて石原は、他の人気アイドルグループの運営を訪ねてゆく。そこで外部からの感慨として述べられるのは、他のグループとは大きく規模感の異なる、AKB48グループの多人数編成についての指摘である。端的に言って多すぎるそのメンバー数を考えれば、全ての成員に芸能者としての安定した立場をもたらすことなどできようはずはない。だからこそ、AKB48の歴史を彩った人々をカメラに収めようとするとき、芸能とは別の人生を歩んで久しい人々を捉えることも必然になる。だとしても、AKB48がそうした人々にわずかでも人生の糧を用意することはできないだろうか。

 本作でその糧の象徴になるのが、2016年の選抜総選挙である。選抜総選挙とは、単純に上位に入るかどうかという価値観だけではなく、この巨大な人数のうち一人でも多くのメンバーたちのストーリーを可視化して、注目させるための機会をもたらすイベントとしてある。しかし、より細かくいえば選抜総選挙のそうした利点は一方で、ドライな「序列」によって成員が位置付けられ、その序列のプロセスそのものが受け手を巻き込んで興行化されるという、それこそAKB48を社会的な存在として見た時にしばしば議論の対象になる冷淡な側面と背中合わせである。先述のような視野を持ちながらAKB48を見続けてきた石原が、その功罪の「罪」に自覚的でないはずがない。

 それでも、石原はあえて選抜総選挙を、各メンバーの人生にとっての糧として捉えることを選んでいる。すなわち、過去のAKB48ドキュメンタリー作品群の中で本作はもっとも、開票イベントに臨むメンバーたちの姿から悲壮感を映し出そうとしていない。同じ日に同じ場所で起きた出来事を、もっと修羅場や惨劇として切り取ることも、あるいはことさらに栄光ないしは挫折の物語として切り取ることもできたに違いない。高橋栄樹が手がけた過去のAKB48ドキュメンタリーのように、総選挙やスキャンダルをめぐる諸々に対して静かかつ強烈な批評性を宿すこともできたに違いない。石原が選んだのはおそらく、それらとは違うやり方である。というより、本作に関しては2016年の選抜総選挙というイベントに、ことさらに短期的で内輪なドラマを求めようとはしていない。やがてAKB48を背負うかもしれない、もしくは48グループから遠く離れた道を歩むかもしれない人々が、人生のある過程でAKB48を経験している。あくまでその象徴として、本作における選抜総選挙での各メンバーの姿はある。俯瞰しつつ各人の人生の尊さを見出そうとするその描き方は、内輪のみに収斂しない石原の視野のあらわれであり、また修羅場や組織のネガティブ面などをいくつも目の当たりにしているであろう石原の祈りのようでもある。

 高橋栄樹によるAKB48ドキュメンタリーが、回を重ねるにつれて自然と内側のストーリーに肉薄していったのに対し、石原は内側の立場に寄り添いつつも、AKB48の「外」へと繋がった世界を意識するような俯瞰を試みた。選抜総選挙で1位を獲得したメンバーが明らかになった瞬間を捉えたシーンで石原が選択したのは、物理的な距離としては会場のすぐ近くにいながらも、現在はAKB48グループに在籍していない人物を映したショットだった。総選挙で1位を獲得したメンバーと、かつてそのメンバーと同期でAKB48に加入した人物とが重ね合わされるこのシーンに、人生のある地点でAKB48を経験してゆくことの持ついくつもの意味が集約されている。その後味こそ、指原莉乃によるHKT48のドキュメンタリーを除けば、48系のドキュメンタリー史上最も監督の記名性が高い同作品の、最大の特徴なのだろう。

香月孝史

最終更新:7/23(土) 13:00

リアルサウンド

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