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クーデターの舞台、境界線上のイスタンブール

JBpress 7/23(土) 6:05配信

 黒海といってもあまりなじみがない。私もウクライナに来るまで知らなかった。旅の途中で私がたどり着いたのは、黒海の北岸にあるウクライナのオデッサ、戦艦ポチョムキンの町。そこから南岸にあるトルコのイスタンブールまで、24時間かけて黒海を渡るのは、通称ウクライナ・フェリーという週1、2往復のおんぼろフェリーだった。もう今では 運航していないと聞く。

フェリーに乗っていた若いバレリーナたち(写真)

 日暮れのオデッサで船に乗り込み、船室に一夜を眠って目覚めると、朝日が射している。どんよりと曇った冬のはじまりのオデッサの、うすらさみしい港から離れると、海をわたる風はまだ冷たいのに何か自由な気持ちになる。黒海のおもては魚の腹のように青黒かったが朝日は明るかった。

 甲板でしばらく煙草を吸って、船室へ戻った。黒海の塩分濃度は低いと言われているが、潮風は髪にからまってべとつく。そんな海の気配をいたわるようにしながら、朝食にビールを飲む。

 祭日を挟むからといって船の出港は何日か遅れた。私は出港を待ってオデッサの町に滞在するはめになった。冬の早く訪れる寒い町に繰り出すのも億劫で、オデッサでは、宿の近くのレストランに逃げ込んでは室内でボルシチを食べ、蒸留酒を飲んでいた。

 祭日には暗い空に花火が上がって、結婚式帰りの花嫁は寒いためかウェディングドレスの上に短いマントを羽織っていた。オデッサには寒かった思い出しかない。

■ 黒海とイスタンブールの不思議な「境界」感

 ウクライナ・フェリーの中にはたくさんのウクライナ人が乗り込み、同じようにたくさんのトルコ人が乗り込んでいた。ビジネスのために船で往復しているというようなトルコ商人もいれば、ちょっとイスタンブールまで遊びに行くのだというウクライナ人ファミリーもいた。トルコ人とウクライナ人がしゃべっているのはほとんど見かけなかった。黒海を隔てて文化圏の異なる彼らの間には、なにか見えない壁があるのかもしれない。

 午後になると食堂の隣の宴会場に、背筋と手足のすらりと伸びた美しい少女たちが集まった。見ていると彼女らはバレリーナで、宴会場で公演をしているのか、練習をしているのかよく分からなかったが、イスタンブールへ向かうと言う。ウクライナには美人が多いと言われ、欧米各地から美女を求めて金持ちの年寄りが集まってくるが、まだ若いバレリーナたちもすでに美しかった。

 24時間もあればイスタンブールに着くと聞いていたが、24時間が過ぎて夕日が落ちてもまだイスタンブールは見えなかった。日が暮れてしばらく経ってすっかり夜になったころに、窓の外にキラキラとオレンジやピンクに明滅する光のつぶが見えて、甲板に出たらすでに風はぬるくなっている。もう俺たちはほぼイスタンブールなのだと、近くに立つトルコ人のおじさんが嬉しそうに言う。「船はもうボスポラス海峡に入っている。あの小高い丘の向こう側に橋がかかっている。アジアとヨーロッパをつなぐ橋だ。そこにこの船は着くんだよ」

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最終更新:7/23(土) 6:05

JBpress

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