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高校時代三番手投手だった黒田博樹。無名でプロに入団し大活躍した投手たち

ベースボールチャンネル 7/24(日) 6:50配信

黒田は高校時代、三番手ピッチャーだった

 23日の阪神戦で史上2人目の日米通算200勝を達成した黒田博樹は、南海ホークス、高橋ユニオンズなどで外野手として活躍した黒田一博の次男。親子二代でレギュラー選手というNPB史上まれな存在だが、高校時代までは決して目立つ存在ではなかった。

 父が興したボーイズリーグ、オール住之江を経て上宮高に入学。当時の上宮高は、4年先輩の元木大介、種田仁らの時代に甲子園で大活躍した有力校だったが、エースはのち日本ハムで外野手として活躍した西浦克拓であり、黒田は三番手投手だった。在校中の上宮高は、甲子園にも出場できず、黒田は無名のまま専修大学に入学。大学で150km/hをマークし「東都最速の男」の異名をとって広島に入団した。

 高校時代無名で、プロ入り後大きく花開いた投手はたくさんいる。

 古くは320勝の小山正明(阪神など、兵庫県立高砂高出身)、276勝の稲尾和久(西鉄など、大分県立別府緑丘高出身)、222勝の村山実(阪神、尼崎商高出身)は、今に至るも甲子園に縁がない無名高の出身だった。

 西武でMVPに輝いた石井丈裕は、早稲田実業高時代は「大ちゃんフィーバー」で全国的な人気者だった荒木大輔(ヤクルト)の控え投手だった。

 広島で先発、リリーフで活躍した紀藤真琴は、中京高時代は「超高校級」と言われた野中徹博(阪急など)の控え投手兼外野手。主にリリーフだった。

中継ぎ初のMVPを受賞した浅尾は高校時代捕手だった

 上宮高・黒田の1学年上にロッテのリリーフ陣の一角として活躍した薮田安彦がいる。MLBでもプレーした薮田は、高校時代、1年後輩の西浦克拓の陰に隠れて登板機会はほとんどなかった。

 ロッテで活躍した、アンダースローの渡辺俊介は國學院栃木高時代、エースで4番の小関竜也(西武、巨人など、現巨人二軍外野守備走塁コーチ)の陰に隠れた3番手投手だった。

 ボストン・レッドソックスの上原浩治も東海大仰星高時代は建山義紀(日本ハムなど)の中堅手兼控え投手だった。上原と建山は、のち、テキサスレンジャーズでチームメイトとなるが、このときには、上原は切り札のセットアッパー、建山は敗戦処理と、二人の立場は逆転していた。

 中継ぎ投手初のMVPに輝いた中日の浅尾拓也は愛知県立常滑高時代は捕手であり、投手不足からマウンドにも上がったものの全くの無名だった。

 巨人のクローザー、澤村拓一は、佐野日大高時代は3番手投手。県大会では登板機会さえ与えられなかった。

 これらの投手は、同級生にたまたま好投手がいるなど、運に恵まれず高校時代に頭角を現さなかったが、夢をあきらめず努力を続け、エース級にのし上がった。

 高校時代に大活躍した投手の中には、そのころの酷使がたたってプロ入り後十分に活躍できないケースもある。高校時代に無名だった投手は肩やひじを温存できたことで、後に大きく開花できたという側面もあるのかもしれない。

ベースボールチャンネル編集部

最終更新:7/24(日) 6:50

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