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ガングロギャルの“ロック魂”に共感ーー女優・大塚シノブが『黒い暴動(ハート)』を観る

リアルサウンド 7/24(日) 10:10配信

 肌を黒く焼き、目の周りを白く囲んで、パラパラに精を出すガングロギャル。1998年から2000年をピークにヤマンバ、マンバと少しづつ形を変え、2008年頃まで進化し続けていた。今もガングロカフェなるものもあり、絶滅したかと思いきや、実はまだ生息している。日本文化にある舞妓の美とは、まさに真逆を行くようなそのスタイル。日本文化の研究者に言わせると、ガングロは伝統的な日本社会に対する復讐の一形態だそうだ。

 当時、彼女たちを見て、正直よく分からない存在だと思っていた。そして今回このガングロギャルを描いた映画『黒い暴動(ハート)』について書くことになり、一体何を書けというのか!?と内心思った。ギャル映画を観て何か感じるものがあるのかと。しかも題名の最後に(ハート)も付いている。おそらくガングロと聞いて「懐かしいな」と同調する人と「そういえば、そんなのいたな」と敬遠する人がいるだろう。私もかつて多少肌を焼いた時期もあったが、ガングロギャルに対して特に敬遠もしなければ、興味も持っていなかったタイプである。ところがこの映画を観て一転、同調する派に回ってしまった。まるで自分がかつてガングロギャルであったかのように。

 石川県の片田舎で煮え切らない「クソ」な日々を過ごしていた女子高生、美羽(馬場ふみか)がガングロギャルに変貌。そしてアラサーとなった今を描いている。最初の掴みからテンポよく持って行かれ、エネルギッシュさと多少の切なさも感じながら、気がつけばエンディングに。最後には沸々と湧き上がって来る、得体の知れない疾走感。そして、かつて自分が感じていた根拠のない自信。宇賀那健一監督が「ギャルとはあの時代、世界中で日本だけに発生したロックンロールだ!」と言うのも妙に納得できる。

 ギャルはパラパラに熱中する。「明日世界が滅亡する」と思って毎日を生き、「外野は空気だ」と自分を貫く。周りから見れば、すごくくだらないことかもしれないけれど。かつて自分も彼女らと同じように、青春時代を生きていたことを思い出す。ただ熱中する矛先が違っただけで、モチベーションは同じだったかもしれないと気づく。それは淡々と生きる毎日への反抗心であったり、きれいごとを並べる社会へ投じた一石だったのかもしれない。しかもアラサーになったギャルたちの「どんなに生きても27までだと思っていた」という言葉にハッとした。私も全く同じ考えだったから。限りある時間だからこそ、怖い物なしで生きられた。

 世間からは計画性がない、そう思われるかもしれない。ただ長い人生と考えた場合、それがどんな形であれ、命を燃やすような瞬間が一瞬ぐらいあってもいいのではないだろうか。生きて行くうちに、それでよかったと思うのか、間違いだったと思うのか。それを肯定しても否定しても、後々の人生の糧にはなるような気がする。そして何かに熱中したという感覚は、挫折を味わった時、自分を再度奮い立たせる原動力になるのではないだろうか。あの時、ワクワクした気持ちは体にインプットされているのだから。

 元ヤンで、後に更生して成功したという人の話もよく聞く。何かしらに反抗心を持ち、疑問を抱き、その中で肯定や反省を繰り返しながら、生きて来た結果なのかもしれない。だからと言ってヤンキーになれ、ギャルになれ、という話ではないが。特に草食系が多い昨今、多少の反抗心を持つことも必要なのではないかとさえ思う。もちろん周りに迷惑をかけなければが前提で。

 普通に考えればガングロは、肌を焼けば将来シミにもなるし、当時、その容姿は日本の外観を乱すと言われていたかもしれない。パラパラも将来、役に立つわけではない。決して世間体もいいわけではない。でも、私はそのエネルギッシュなロック魂は肯定したい。

 劇中、ギャルを演じる皆が、水を得た魚のように自由でキラキラして見えた。『黒い暴動(ハート)』この題名も、彼女たちにはピッタリだ。ギャルにはギャルの世界観がある。

大塚シノブ

最終更新:7/24(日) 10:10

リアルサウンド