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太宰治が思い出を綴り、宮崎駿が着想を得た目黒雅叙園は戦前の大テーマパークだった

HARBOR BUSINESS Online 7/25(月) 16:20配信

◆2002年には883億円の負債を抱え経営破綻

「四月二十九日に、目黒の支那料理屋で大隅君の結婚式が行われた。その料理屋に於いて、この佳よき日一日に挙行せられた結婚式は、三百組を越えたという。」太宰治が、友人の結婚を世話することになり、当日までの慣れない仕切りを綴った短編『佳日』に登場するこの”目黒の支那料理屋”こそが今回取り上げる目黒雅叙園です。

 目黒雅叙園は、目黒駅前の行人坂を下っていったところにある、結婚式場・ホテル・レストラン等の複合施設です。日本で最初の総合結婚式場として知られ、近年では2009年に東京都の有形文化財に指定された「百段階段」がジブリアニメ『千と千尋の神隠し』の舞台モデルとなったり、園内にある人口滝がパワースポットとして取り上げられるなど、再注目されていましたね。

 なお、現在の経営形態ですが、かつて目黒雅叙園を経営していた雅秀エンタープライズは2002年に883億円もの負債を抱えて破綻、目黒雅叙園の運営は、株式会社目黒雅叙園(海外挙式大手ワタベウェディングの完全子会社)が行い、土地施設全体は外資系ファンドのラサール・インベストメント・マネージメントの特別目的会社が所有する形になっています。ちなみに、土地施設に関しては、バブル期に相当複雑怪奇な権利問題に発展したようです。

第14期決算公告:5月20日官報102頁より

当期純利益:1億8200万円

利益剰余金:2億8000万円

過去の決算情報:詳しくはこちら http://nokizal.com/company/show/id/1480316#flst

◆「昭和の竜宮城」と称された前代未聞のサービス

 さて、現在の目黒雅叙園は、前述した「百段階段」を除き、1991年の目黒川の拡張に伴う全面改装後のものです。3000点にも及ぶ美術品含め、旧施設の多くも移築復元はされているものの「昭和の竜宮城」と称されたかつての目黒雅叙園そのものではありません。

 戦前、1931年から1943年に至るまで、全7期にわたって、当時一流の芸術家、庭師、左官、建具師、塗師、蒔絵師など数百名が集結して豪華絢爛な施設を作り上げた上、本格的な北京料理を始めとするレストラン、孔雀や熊までいて子供も楽しめたという庭園、鯉が泳ぐ川があったというトイレなど、前代未聞のサービスを庶民価格で利用しやすい形態で提供し、当時の一大テーマパークとなった「昭和の竜宮城」とはどのような存在だったのか、見ていきましょう。

◆郊外に豪華絢爛な料亭を作った細川力蔵のビジネスセンス

 目黒雅叙園を創業した細川力蔵は石川県出身、小学校を終えると東京の銭湯に丁稚奉公し、その働き具合が認められて大正の初めに自分の銭湯を芝に持つと浴場経営に加えて、不動産業にも成功し一財産を築いた人物でした。その力蔵が1928年に芝浦の自邸を改築した純日本式の料亭「芝浦雅叙園」を経て、1931年に目黒の土地を入手して、本格的な北京料理および日本料理を提供する料亭「目黒雅叙園」をオープンしたのがその歴史の始まりです。

 ところで、どうして目黒で開業したのでしょうか。もちろん、たまたま良い物件が入手できたからというのはあったにしろ、当時の目黒は今の目黒とは違い「目黒のさんま」に登場するような東京郊外でした。その郊外の目黒で料亭を開業した集客上の理由を二つ考えてみたいと思います。

 一つ目の理由は、江戸(東京)っ子の娯楽としてのお参り信仰です。目黒雅叙園の近くには目黒不動を初めとする山手七福神や大鳥神社があり、ちょっとした物見遊山にはもってこいでした。そこに突然出現する現実から遊離した豪華絢爛にして物珍しい空間は、非日常の時間を過ごすにはちょうど良かったのではないでしょうか。一見、粋を重んじる江戸っ子が嫌いそうな、宮崎駿が「元禄文化風とされる通俗的などぎつさ」と評した雰囲気が人気を博したのもそんなところではないかと思われます。

 二つ目の理由は、当時周辺に海軍の施設が沢山あったことです。もし、目論見通りに一般人(toC)が来なければ、軍人相手に宴会等を受け入れる(toB)というプランBがあったのではないかと思われます。その証拠に旧館の部屋名には「長門」「陸奥」「金剛」「妙高」「足柄」など、艦これよろしく、戦艦の名前が並んでいたようです。結果的には、toB、toC、両方とも当たり、大いに繁盛して、その後の増改築に繋がっていきます。

 もちろん、これらの理由も今となっては類推に過ぎませんが、とはいえ当時の目黒に雅叙園を作ったビジネスセンスは、冬の軽井沢にスケート場を作ったり、夏の大磯にプールを作ったりした若き日の堤義明のエピソードなども思わせ、その経歴からも分かる通り、力蔵は相当やり手のアントレプレナーだったのだろうと感じさせます。

◆若干33歳で目黒雅叙園を任された大工の棟梁、酒井久五郎

 次に、非日常を演出した目黒雅叙園の主役とも言える建物について触れておきましょう。現代のビジネスに於いてもそうですが、トップがどれだけビジョナリーな目標を掲げても、それを形に出来るエンジニアが居なければビジネスは実現しません。そして、目黒雅叙園においてその役割を担ったのが、力蔵専属の大工の棟梁、酒井久五郎でした。

 久五郎は、江戸城内御殿築造に携わるなど優れた大工や左官等の職人を輩出した静岡県土肥町小下田の出身で、目黒雅叙園を彩る螺鈿や彫刻、 日本画、銘木といった、訪れた人を竜宮城へと誘う、豪華絢爛な施設を見事に形にした人物です。しかし、何より驚くのは雅叙園の棟梁を任された時の年齢で、なんと33歳の若さです。力蔵のビジネスセンスも凄いですが、久五郎もまた天才的なエンジニアだったのでしょう。

 力蔵は、連日数百人集まった職人達から1日5銭を天引きして久五郎に与え、久五郎はその金で職人や工芸家達と高級料亭へ足繁く通ったそうですが、おそらくそれは報酬や慰労ではなく、生きた本物を実際に見せて、雅叙園に取り込んでいく投資だったと思われます。そのことは久五郎が現場で常々口にしていた「俺達の仕事は博覧会の仕事じゃないんだぞ」という言葉からも伺われます。

◆『千と千尋の神隠し』のモデルに使われた「百段階段」

 その久五郎が37歳の時に手がけたのが『千と千尋の神隠し』のモデルとなった「百段階段」です。建てられた昭和初期は全国各地に高度で質の良い数寄屋建築が建てられていた時期であり「百段階段」はその中でも傑作の一つと言われています。

 荒木十畝や鏑木清方など、当時の日本を代表する作家が率いる画塾に部屋を一つずつ任せ、場合によっては女中と書生付きで数年にわたって完成させた7つの部屋「十畝の間」「漁樵の間」「草丘の間」「静水の間」「星光の間」「清方の間」「頂上の間」を、行人坂の傾斜に沿って配置、それを10~20段上がると部屋が右側にあるという具合に繋いでいるのが「百段階段」です。

 ちなみに『千と千尋の神隠し』で具体的にモデルになったのは「漁樵の間」と「草丘の間」で、それぞれ宴会場や湯婆婆の部屋、千尋が寝泊まりしていた女中部屋に使われています。

◆元祖スーパー銭湯?豪華で大きな風呂と美味しい食事の組み合わせ

 土地と建物と来て最後に、大人気を博した当時最先端のサービスについても紹介しておきましょう。まずは、料亭としてスタートした目黒雅叙園でしたが、それまで料亭といえば、上流階級だけが楽しむ場所でした。これからは大衆の時代がやってくると考えていた力蔵は、庶民の立場に立った工夫を施していきます。

 例えば、料金を明記したお品書きです。従来の料亭は上流階級の顧客相手なので「品書き」といっても、今あるものをさらりと示す程度でした。そこで、利用しやすいように品書きに細かく料金を記載、従来の「心付け」も、「サービス料」として一律化します。また開業時には、5人以上の来店なら市内どこでも無料でタクシーがお迎えに行くサービスもスタートさせ、こちらも話題を呼びました。

 次に着手したのが、元々力蔵の得意分野だった「風呂」です。1933年に園内にオープンした浴場施設「百人風呂」は、建物同様華美な設えが施されている上に、わざわざ温泉から湯を運んできて沸かし直す『再生温泉』でした。現在の都市型温泉やスーパー銭湯の元祖とも言える、この豪華な風呂と食事の組み合わせはたちまち風呂好きの江戸っ子の心を捉えました。

◆当時のカップルがみんな憧れた日本初の総合結婚式場

 そして、1937年に遂に登場したのが、冒頭で触れた日本初の総合結婚式場です。当時は挙式は神社や寺で、披露宴は料亭でといった、別々の場所で行う形式が一般的でしたが、それぞれが離れていると移動が大変で、特に雨の日などはせっかくの衣装が濡れてしまいました。

 そこで、力蔵が考案したのが、園内に出雲大社から御霊を迎えた神殿を設営して挙式ができるようにし、料理はもちろん、数百の着物やかつら、モーニングなどの衣装を用意、写真室や美容室も併設した画期的な一気通貫のシステムでした。今でこそ一般的になったこのシステムですが、当時はまさに最先端で、目黒雅叙園で結婚式を挙げることに憧れるカップルが続出しました。

 冒頭で太宰が300組と書いていますが、出来た翌年には1日に116組が披露宴を行った記録が残っているそうです。なお、少し古いですがこちらの資料によると、現在の日本の年間挙式数は約2,800事業所で350,000件となっており、1事業所あたりは年間で120件ほどになります。時代や規模が違うので単純比較は出来ませんが、当時の大人気振りが想像できますね。

 ちなみに、その披露宴でもう一つ発案されたのが、今や中国料理と切っても切れない回る円卓です。招待客が料理を取りにくそうにしているのを見かねた力蔵が、久五郎と金物商の原安太郎に相談して作られたこちらは、少なくとも国内では初の逸品でした。

◆今の感覚なら、お台場とディズニーランドを足したような存在?

 こうして目黒雅叙園は完成するにつれ、料亭+宴会場+大浴場+旅館+総合結婚式場+美術館という一大テーマパークとなり「いま竜宮城」「デザイン・装飾の百貨店」と称される存在になりました。当時の絵葉書を見ると、その風景と謳い文句から往年のワクワク感が伝わってきます。

 残念ながら、その後の戦争や前述した目黒川の拡張工事により、当時の施設の大部分は失われてしまいましたが、全面改装後もそのコンセプトは息づいていますので、是非『千と千尋の神隠し』に出てくる八百万の神様たちのように、たまには日常のあれこれから逃れて、非日常感に浸ってみるのも良いのではないでしょうか。

決算数字の留意事項

基本的に、当期純利益はその期の最終的な損益を、利益剰余金はその期までの累積黒字額or赤字額を示しています。ただし、当期純利益だけでは広告や設備等への投資状況や突発的な損益発生等の個別状況までは把握できないことがあります。また、利益剰余金に関しても、資本金に組み入れることも可能なので、それが少ないorマイナス=良くない状況、とはならないケースもありますので、企業の経営状況の判断基準の一つとしてご利用下さい。

【平野健児(ひらのけんじ)】

1980年京都生まれ、神戸大学文学部日本史科卒。新卒でWeb広告営業を経験後、Webを中心とした新規事業の立ち上げ請負業務で独立。WebサイトM&Aの『SiteStock』や無料家計簿アプリ『ReceReco』他、多数の新規事業の立ち上げ、運営に携わる。現在は株式会社Plainworksを創業、全国の企業情報(全上場企業3600社、非上場企業25000社以上の業績情報含む)を無料&会員登録不要で提供する、ビジネスマンや就活生向けのカジュアルな企業情報ダッシュボードアプリ『NOKIZAL(ノキザル)』を立ち上げ、運営中。

<写真/ptrktn>

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最終更新:7/25(月) 16:20

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