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SMAPは“カジュアル”なアイドルだったーー90年代の音楽文化からグループを読み解く

リアルサウンド 7/30(土) 13:00配信

 ジャニーズ文化の根源に迫った『ジャニ研!』(原書房)の著者の一人である、批評家・矢野利裕による書籍『SMAPは終わらない 国民的グループが乗り越える「社会のしがらみ」 』が8月9日に発売される。

 2016年1月、日本全体を揺るがしたSMAP解散騒動。『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)でのメンバー謝罪会見を端に、矢野氏が執筆したコラム「SMAPは音楽で“社会のしがらみ”を越えるか? ジャニーズが貫徹すべき “芸能の本義”」の反響を受け、この度緊急出版。世界にひとつだけの「SMAP」の存在と今後を、音楽と芸能から紐解いた“SMAP論”の決定版となっている。

 当サイトでは、本書の発売に先駆けて、第二章「Free Soul : the classic of SMAPーーSMAP」の一部を抜粋して掲載する。フリー・ソウル・ムーヴメントの立役者である橋本徹(SUBURBIA)と新進気鋭のジャズ評論家の柳樂光隆(Jazz The New Chapter)をゲストに迎え、著者と両名が感じるSMAPの音楽的魅力が大いに語られた章である。

■「“イケてる音楽に反応していく”というプロジェクト」(橋本)

(第二章 Free Soul : the classic of SMAPーーSMAPを音楽から読み解くより、「SMAPが登場した90年代の時代性」抜粋)

矢野利裕(以下、矢野):まず、僕がSMAPをどう見ていたか、という話からしたいと思います。僕は1983年生まれで、子どもの時分にはSMAPが人気を獲得し始めていました。だから、世間と同じように、なんとなく自分もSMAPが好きになっていたように思います。一方で、だいたい2000年前後が、音楽をたくさん聴き始めた時期です。90年代は、ヒップホップをはじめとするクラブ・ミュージックが盛り上がっていて、いま思えば、その影響を受けていました。とは言え、僕が行きたいイヴェントがすでに終了していたり、いくつかのハコも閉店していたりと、自分が憧れた“90年代カルチャー”のようなものがあったとして、それは、すでに残り香でしかなかったような印象もあります。「あと、10年早く生まれたかった」と、よく思っていました。ただ、ヒップホップやDJ文化をきっかけに、J-POPや歌謡曲をはじめ、あらゆる楽曲に元ネタがあるということを学びました。そんななかで、SMAPに対しては、フリー・ソウルっぽさを強く感じていたんです。自分自身、DJをやっていたので、家でSMAPとフリー・ソウル的な曲をミックスして遊んだりもしていました。SMAPの「マラソン」とカーティス・メイフィールドの「ムーヴ・オン・アップ」は相性がいいなあ、とか思いながら。当時、「珍屋(めずらしや)」というレコード屋でアルバイトをしていたのですが、店長を務めていた柳樂さんとは、よくそんな雑談をしていましたね。

橋本徹(以下、橋本):「珍屋」ではいつからアルバイトをしていたの?

矢野:たしか2005年ですね。それから3年くらい続けていました。

柳樂光隆(以下、柳樂):そのくらいかな。

矢野:だから今日は、そのときに柳樂さんと話していたような話を橋本さんとも話したいな、と思ったんです。ジャンルにとらわれないような話を。

橋本:ありがとうございます。まず90年代の話からしていくと、音楽における一般教養というか、あらゆる概念が書き換えられた時代でしたよね。CD全盛の時代に「リイシュー」というかたちで旧譜が新譜と同じように再リリースされ、歴史が横並びになった時代ともいえます。

矢野:例えば、タワーレコードなどでは、試聴機のところに同じような系統の作品が置かれるようになりましたよね。人脈の重なりとか、フィーリングの重なりが意識されていて。あれは、音楽を掘っていくうえで貴重だったな。

橋本:うん。自分も選曲や編集を通して、そういう提案をしていきました。

矢野:「珍屋」でも試聴機の中身を月替わりで変えていましたよね。しかも、新しい/古いという選別ではなくて、「この音楽が好きだったらこういうのも好きじゃない?」という感じで商品を並べたり、コメントカードを添えたりして。とくに柳樂さんの店では、そういう部分に力を入れていたような印象があります。

橋本:音楽雑誌の記事もそうだけど、レコードショップやCDショップの品揃えが“連想ゲーム”のように新旧もジャンルも横断して提案できるようになったのは、90年代以降という気がする。

矢野:それは、当時、明確な仕掛人がいるというよりは……。

橋本:全体の気運だね。当時はレコードやCDが身近な時代だったと思うんですよ。それ以前に比べても、それ以後に比べても。そんなふうに“モノ”として音楽を愛することが自然な時代にSMAPは登場してきたから、単純にアイドル・グループと言われているなかでは、一枚一枚のアルバムのコンセプトがしっかりしていたり、デザインワークやパッケージアートという部分へのプロダクト意識が高い人たちによってサポートされていた印象があります。

矢野:SMAPのアルバムは、ひとつひとつコンセプチュアルなイメージがありますよね。

橋本:そうだね。『Wool』のウルトラブリスターパックなんてまさに象徴的だけども。

矢野:あの縦長のパッケージは強烈でしたよね。

橋本:収納しづらいサイズなので、我が家では案の定ボロボロになっていました(笑)。でも、そういう“モノ”としての魅力を追求する気運というのが音楽シーン全体にあったし、アイデア的にも予算的にもそういうことが許された時代だったので、その時代を象徴するグループであるSMAPも自然にそうだったことは重要なんじゃないかなという気がします。

矢野:なるほど。バブル崩壊という時代状況とは裏腹に、音楽ソフトの売り上げは90年代後半にかけて伸びていきます。特殊パッケージのような試みは、そういう下部構造にも支えられていたのですね。音楽に関して言えば、アイデアをかたちにできる余裕があった時代。

柳樂:ちなみに矢野くんは、SMAPがそういうふうに舵を切った時期とか理由についてはどう考えている? アルバムを一通り聴き直してきたんだけど、『SMAP 004』くらいから露骨にイメージが変わるんだよね。僕自身もSMAPを音楽的に面白いものとして意識したのはその時期からだな。つまり「がんばりましょう」くらいの頃。

矢野:そういう印象はありますよね。まず前提として、1枚目のアルバムから少しSMAPの音楽性を振り返ってみたいのですが、『SMAP 001』を聴き直すとけっこうアシッド・ジャズっぽい感じがあります。打ち込みのビートを用いつつ、ちょっとジャズ・ファンクのグルーヴを意識している気がする。

橋本:うん。リリースが1992年ですからね。

柳樂:アシッド・ジャズとニュー・ジャック・スウィングの時代だね。

橋本:『SMAP 001』リリースの1992年は、まさにイギリスではアシッド・ジャズ、アメリカではニュー・ジャック・スウィングが全盛の時代だから、SMAPのアルバムも90年代半ば以降のようなフリー・ソウルな感じの作品ではなく、その前夜という感じなのかもしれない。そう考えると、SMAPは“同時代の若い人が聴く、イケてる音楽に反応していく”というプロジェクトだったのかな、という気がします。

■「『SMAP 004』が明らかに大きな転機」(柳樂)

矢野:ジャニーズの縦の歴史を確認すると、SMAPの直前には忍者がいます。忍者のデビュー曲は「お祭り忍者」ですよね。これは、ジャネット・ジャクソンのようなニュー・ジャック・スウィングで美空ひばりを歌う、という怪作です。その後、忍者はあれこれと打ち込みの音楽を続けるのですが、SMAPのようなアシッド・ジャズの洗練された感じはあまりない。この微妙なセンスの違いは意外と大きいかもしれませんね。

橋本:言ってみれば六本木と渋谷の違いだよね。フリー・ソウルは、渋谷やイギリスに向いたものだったから、SMAPと親和性があったのかもな。

矢野:だとすると、SMAP以前のジャニーズにはその“イギリスに向く”感じがなかったのかもしれない。

橋本:そうかもね、やはり“ショー・ビズ”な世界だったから。

矢野:まさに、SMAP以前のジャニーズはショー・ビズな世界を志向していました。しかし、そういうショー・ビズな世界の中で、SMAPは着飾ることをせず、カジュアルな方向性に向かった。

橋本:それがいちばんのポイントだよね。カジュアルでざっくばらんなグループというか。さっきも話に出た『Wool』についていたフォトブックを見ると、スナップ写真のような普段っぽい姿をアートワークに組み込んでいて。こういうのって、それまでのアイドルにはなかった方法じゃない?

柳樂:アイドルのやり方じゃないですよね。居酒屋で撮っているような雰囲気の写真もあります。

橋本:ピントがぼけているような、友だちが撮ったようなローファイな写真も混じっているしね。普段の日常の延長で彼らを捉えたものがアートワークに使われる、そういうカジュアルさ、ざっくばらんさみたいなものがある種、90年代の半ばくらいの文化とも言える。古着の文化もそうじゃないかな。「中古レコードを買うことがイケている」時代ということもそうなんだけど。

柳樂:草なぎくんとかキムタクの存在は、すごい90年代っぽい。古着にジーンズを着こなすテイストとか。ゴローズのアクセサリーにレッドウイングのブーツみたいなリアルなストリート感。

矢野:90年代っぽいと同時にジャニーズのアイドルらしくないですよね。キラキラしたアイドルであることよりも、当時のリアリティに根ざすことのほうが重要視されているようです。

橋本:あの頃の男の子たちは、レアなジーンズとレアなレコードを持つことに気合を入れていたわけで。そういう時代のアイドル像という見方もできる。

矢野:楽曲面で考えても、SMAPの存在はけっこう画期的だったと思います。まず、デビュー曲「Can't Stop!! -LOVING-」がUKのアーリー・ハウスというか、80年代後半のハウスをかなり意識していますよね。この一点からしても、1993年以前のSMAPがアシッド・ジャズやハウス路線のサウンドを明確に狙っていたことがわかります。もしかしたら、どこかのタイミングでバキバキのハウス路線にいくことを念頭に置いていたのかもしれません。結果的には、その路線はV6が担っていくことになるのですが。

柳樂:プログラミングのほうがオシャレだという空気が、当時はまだあったもんね。

橋本:クラブ・カルチャー~ハウス・カルチャーが、ガーッと来た時期だから。

矢野:それが、時代が進んでいくと完全にプログラミングを通過して以降の生音のフィーリングが追求されていきます。ビートが打ち込みでウワモノが生音になっている曲もあるし、すべて生演奏の曲もある。その生演奏は、いわゆるレア・グルーヴのようだったりする。クラブでプレイされても違和感のないような、ドラムがしっかりした演奏ですね。プログラミングのビートをどんどん押し進めていくような方向には行かなかった。だいたい1994~5年くらいのことです。

橋本:それはまさにフリー・ソウルが盛り上がった時期で、クラブ・カルチャーが大バコから小バコへと動いていく時代ともリンクするね。

柳樂:それで言うと、1993年の『SMAP 004』から全体的にシンセ・ベースを使うようになって、ベース・ラインで押す感じになっている。いわゆるベタなプログラミングのビートで作る感じではなくなって、生演奏のテイストが強くなって、いきなり80年代的なサウンドに後退するというか、一回戻る感じがあって。『SMAP 004』が明らかに大きな転機のように感じましたね。

矢野:なるほど、ガチガチなプログラミングから距離を取る過程でシンセ・ベースが重要視されていく、ということですね。その転機に『SMAP 004』がある、と。売り上げ自体もそのあたりから伸び始めますよね。

柳樂:そうそう。そのあたりでSMAPの音楽と時代とが噛み合い始めたというか。

橋本:実際に音楽だけじゃなくて、彼らがTVとかその他の面でも徐々に認められた時代なんじゃないのかな。スタンスが1994年くらいまでに固まってくるというか。アルバムだと、やはり『SMAP 004』、楽曲だと「がんばりましょう」の時期ですね。

矢野:そうですね。本人たちの意識にも変化があったのかもしれない。

※続きは、書籍『SMAPは終わらない 国民的グループが乗り越える「社会のしがらみ」 』にて。

リアルサウンド編集部

最終更新:7/30(土) 13:00

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TEDカンファレンスのプレゼンテーション動画

北朝鮮からの脱出
北朝鮮での幼少時代、『ここは地球上最高の国』と信じていたイ・ヒョンソだったが、90年代の大飢饉に接してその考えに疑問を抱き始める。14歳で脱北、その後中国で素性を隠しながらの生活が始まる。 これは、必死で毎日を生き延びてきた彼女の悲惨な日々とその先に見えた希望の物語。そして、北朝鮮から遠く離れても、なお常に危険に脅かされ続ける同朋達への力強いメッセージが込められている。