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福島復興の壁 低線量被ばくの現実

WiLL 8/1(月) 10:26配信

 私はがんの放射線治療の専門医で、31年間で2万人以上のがん患者さんを診てきました。放射線治療の現場には、医師や看護師の他に、理工学分野の専門家や臨床心理士など多職種の人材が揃っていますから、福島原発事故の重大性や、放射線の肉体的・心理的影響についてチームを組んで情報提供を行ってきました。事故から2年間、「チーム中川」の名前で、ツイッターで情報発信を行いましたが、フォロワーは最大25万人に達しました。
 福島にも、飯舘村を中心に、今も、ほぼ毎月訪問しています。飯舘村は、福島第一原発から30キロ以上も離れているため、大熊町や双葉町といった原発立地地域が享受してきた経済的恩恵を全く受けてこなかった反面、事故時の風向きの関係で大量の放射性気流(プルーム)によって汚染されました。原発からの距離とともに、風向きや降雨の有無が被ばく量を決めますが、こうした情報がタイムリーかつ正確に提供されなかったため、住民の避難は遅れてしまいました。さらに、チェルノブイリ原発事故(1986年)での経験を持つ医師が安全だと講演をした数日後に、年間の積算放射線量が20ミリシーベルトを超える恐れがあるとして、一カ月以内の全村避難を政府から指示されました。こうしたボタンの掛け違いが、政府や専門家への不信を招いてしまったといえるでしょう。

百二歳に避難は必要か

 2011年の4月に「チーム中川」が事故後はじめて福島を訪問した際、飯舘村の菅野典雄村長にお会いしましたが、子供や妊婦はまだしも、役場に隣接する特別養護老人ホーム「いいたてホーム」についても入所者全員が避難を指示されていることに反対を表明されておられました。ホームを訪問してみると、入居者は平均年齢が約八十歳、中には百二歳のおばあちゃんもいました。百名たらずの入居者のうち、車椅子生活の人が60名、寝たきりの人が30名です。ホームにはそれまで東京などからの専門家の訪問はなかったそうですが、「この人たちを全員避難させるのか?」と、私どもは驚きました。
 たとえば、百二歳のおばあちゃんには、毎日何万個ものがん細胞ができていて、既にがんが大きくなっている途中かもしれません。放射線被ばくによって生まれるがん細胞の数が増えるかもしれませんが、通常、免疫が見過ごしたがん細胞が1センチになるのに20年かかりますから、百二歳のおばあちゃんに避難のメリットはないと考えられます。私が政府にアドバイスした結果、入居者はそのまま施設にとどまり、職員は村外から通勤して介護にあたることになりました。一方、避難した病院や老人介護施設では入居者の死亡率が大きくアップしてしまいました。高齢者の避難についてはできるだけ慎重に考えるべきなのです。
 幸い、時間とともに住民の被ばく量はわずかだということが分かってきましたが、事故から五年四カ月になる現在も10万人近い福島県民が避難を続けています。低線量被ばくで起こりうる人体影響は発がんリスクの上昇ですから、がんにならないために避難を続けてきたわけです。
 私も定期的に全村避難が続く飯舘村に伺っていますが、一般住民の被ばく量は非常に少なく、とりわけ内部被ばくは驚くほど低く抑えられています。日本の食品の放射能管理は世界一厳しいもので、福島産の米や牛肉の放射能は全数調査が実施されており、2014年以来、1キロ当たり100ベクレルという欧米の十2分の1以下の厳しい基準を超えたものはありません。原発事故とは無関係の天然の放射性物質による内部被ばくは年間1ミリシーベルト程度ありますが、事故による追加の内部被ばくはほぼゼロです。
 食品の放射能に関しては、福島産が日本で一番安全とすら言えますが、調査によると首都圏の消費者の三割が福島の食材を購入しないとしており、大変残念な状況が続いています。海外での風評被害も相変わらずで、中国、韓国、台湾の国内基準は日本よりずっと緩いものですが、台湾では福島県産だけでなく、近隣各県の産物の全面禁輸を続けており、理由は分かりませんが、愛媛県の海産物にも輸入制限がかけられています。今年の五月、台湾電力に招聘されて講演を行いましたが、この輸入制限は一部の運動家に迎合する政治家に主導されており、台湾当局関係者も頭を抱えていました。

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最終更新:8/1(月) 12:58

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