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荻野洋一の『ロスト・バケーション』評:86分ワンシチュエーションに宿るアメリカ映画の粋

リアルサウンド 8/1(月) 17:11配信

 女とサメの一騎打ち。この一見して安直にも思える、なんとも大胆不敵なワンシチュエーションドラマを、よくも作ったものだ。主演はTVシリーズ『ゴシップガール』のセリーナ役でブレイクした正統派美人女優ブレイク・ライブリー。冒頭、ビーチに到着したヒロインのナンシー(ブレイク・ライブリー)が悠々と衣服を脱ぎ、かなりきわどいビキニ姿となった彼女の肢体を、カメラは毛穴が見えるほど舐めるように写していく。通常ならこれはセクシャル・ハラスメントだろう。映画とはじつに因果な商売だ。カメラによるセクシャル・ハラスメントを、「サービスカット」などと称して、撮られる方も嬉々として受け入れる。

 ナンシーはテキサス生まれの医学生で、サーファーである。近所のおじさん、近所のサッカー少年、サーファー男2人組、ただの酔っぱらいなど、数人の脇役をのぞいて、出演者はほぼ一人きり。ガンで若くして死んだ母親(生前は彼女もサーファーだった)がこっそり教えてくれた秘密のビーチ、という設定が最初に示されたため、彼女の孤立無援ぶりは観客もよく分かっており、「これは助けを求めてもムダだ」という絶望感が、客席全体に覆い尽くすだろう。とにかく上映時間86分のうち、ほとんど彼女だけが写っている。そしてこの86分という上映時間の短さがすばらしい。

 ハリウッドでは近年、どんどん上映時間が長くなっていき、特撮によるアクションシーンがダラダラと続いて、2時間半を越える作品も少なくない。『トランスフォーマー』など、シリーズを追うごとにひどくなっている。誰か、あの『トランスフォーマー』シリーズのだらしない弛緩ぶりを、ちゃんと作者たちに指摘してあげるべきである。

 ひるがえって本作の86分という上映時間は、かつてのハリウッド映画が持っていた美徳、つまりストーリー・テリングの美徳ーーエキサイティングで、簡潔、効率的な語りの美徳ーーを思い起こさせる。〈物語の経済学〉ともいうべき美徳への追求が、ハリウッド映画を洗練させてきたし、またそれによって他国の映画産業を弱体化させるほどの力をもたらしてもきたのだ。もちろん、お役所の答弁よろしく百年一日のごとく〈物語の経済学〉を唱えるだけでは、単なる退廃的なノスタルジーにすぎない。しかし、本作の監督ジャウム・コレット=セラ(じつは配給側のこの表記はムチャクチャで、正しくはジャウマ・クリェット=セラと呼ばれている)はスペイン北東部カタルーニャ地方の都市バルセロナの郊外出身で、彼は外からハリウッドに入ってきた人間なりの見極めによって、この非常にクリティカルな86分という上映時間を考察してきたにちがいないのである。

クリェット=セラは1974年にバルセロナ郊外で生まれている。18歳で米ロサンジェルスに転居し、キャリアのはじめからアメリカ映画育ちのため、スペイン映画界の経験がない。異端児と言っていいが、彼の作品歴は『蝋人形の館』(2005)、『エスター』(2009)、『アンノウン』(2011)、『フライト・ゲーム』(2014)、『ラン・オールナイト』(2015)というふうに、ホラー、サスペンス、クライム・アクションと、じつにオーソドックスなハリウッドのそれであり、そのありようにはまるでヨーロッパ臭が感じられない。唯一のヨーロッパ的な作品といえば、レアル・マドリーの架空選手を主人公とする『GOAL! 2』(2007)くらいのものだ(それにしても、FCバルセロナのサポーターであるクリェット=セラとしては、この作品の演出を引き受けるというのは、複雑な心境であったことだろう)。

 前作『ラン・オールナイト』は、美しい小品のクライム・サスペンス『ファーナス 訣別の朝』(2013)を書いたシナリオライター、ブラッド・イングルスビーの秀逸な脚本と、主演リーアム・ニーソンと敵役エド・ハリスの名演技を得て、すばらしい佳作に仕上がっていたが、惜しむらくは夜のニューヨークの撮り方がもうひとつだった。空撮も浅薄なスタイリッシュ映像に堕し、この作品をもし思慮深いアメリカ人監督が撮っていれば、もっとすごい傑作になっていただろう、という出来映えだった。しかしそれでも、『ラン・オールナイト』はジャウマ・クリェット=セラ自身のアメリカ映画観が十二分に探究されていたことを、たしかに感じさせる力作ではあったのだ。

 本作『ロスト・バケーション』は、前作『ラン・オールナイト』というより、前々作『フライト・ゲーム』に立ち戻って、アメリカ映画の実験が再開されている。旅客機内におけるテロ予告に晒されるワンシチュエーションドラマ、主人公の主観から離れないストーリー・テリング。あえてナイナイ尽くしに追いこんだ上で出てくるものこそ、映画の粋である。一人の美しい水着のブロンド女性、一頭のサメ、ひとつの小さな岩場、ひとつの救命浮標(ぶい)、それらの限定された状況で映画を作る。考えてみれば、これほど贅沢な製作環境はないかもしれない。

 本作の原題は『ザ・シャローズ(The Shallows)』、つまりザ・シャークではなく、「浅瀬」と名乗っている。岸までたった200メートルの浅瀬なのだから、がんばって泳げば、サメの脅威を振りきって逃げきれるのかもしれない。しびれを切らして、そうした行動に打って出る手もある。しかし、生き抜くための準備を(おそらくは彼女には、あまりにも人の死が身近にあったためであろうが)十全に整えていたヒロインは、そうしない。時間があるときは時間を使って対策を立て、時間がないときは即興的なアイディアによってギリギリのところを攻める。

 この映画はサメの恐怖に晒された一人の女子医大生が、おのれの医学知識と、サーファーとしての海の経験、またアクセサリーやピアスで怪我の縫合手術を即席でしてしまうという若い女の子らしい発想で、サメと対峙し、その危機を全力で切り抜ける物語である。彼女がサメに食われて終わる映画など、いくらなんでもあり得まい。ネタバレも何もないだろうからはっきり書かせていただくけれど、彼女は最後の最後で助かるのである。この1対1の対決の妙を、思う存分味わっていただきたい。余計なものが排除されたシンプルなこの設定で、女とサメの純度のきわめて高い対決のプロセスを、アメリカ映画の粋として再認識すべき時が来ている。

荻野洋一

最終更新:8/1(月) 17:11

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