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高校野球史上初サヨナラボークで決着。西武・上本、延長15回の死闘「いい経験をした」【夏の甲子園、忘れられないワンシーン】

ベースボールチャンネル 8/2(火) 11:00配信

悲劇のヒーローの女房役

 プロ野球史上初のコリジョン・ルール適用によるサヨナラゲームがあった6月14日から数日後、その当事者となった西武ライオンズの上本達之が雑談する声が耳に届いてきた。

「僕、プロに入ってから、サヨナラの場面でマスクをかぶっていることが本当に多いんですよ」

 この言葉を聞いた時、全身に鳥肌が立った。
 なぜなら、その自虐的に語った言葉に、彼の過去の日がオーバーラップしてきたからだ。明朗快活で知られる上本とはいえ、きっとあの日の出来事は一生忘れられないものになっているはずなのではないか。彼の過去を想った。

 1998年の夏、上本はあの悲劇のヒーローを支えた女房役だった。

 松坂大輔(ソフトバンク)、杉内俊哉(巨人)、和田毅(ソフトバンク)、新垣渚(ヤクルト)らを世に輩出し、「松坂フィーバー」で沸いた第80回記念大会、2回戦の宇部商対豊田大谷戦でのことだった。

 試合は、両者一歩も譲らない一進一退の好ゲーム。延長戦に入ってもなかなか決着がつかないシビれるような展開で、試合時間は4時間に迫ろうかというところまで経過し、延長15回を迎えていた。

 15回裏、無死満塁の窮地を迎えていた宇部商の藤田修平―上本のバッテリーは1ボール2ストライクと追い込み、勝負球を決めようとしていた。

 ところが、サインが決まり、藤田がセットに入ろうとしたその一瞬の間に、悲劇は起こった。

 球審が上本の前へと出てきて“ボーク”の宣告を行ったのだった。

 林清一球審は三塁走者にホーム生還を指示。延長15回まで及んだ死闘は、まさかの形で終止符を打ったのだった。
 
 高校野球史上初めてとなる、サヨナラボークだった。
 マウンドに呆然と立ち尽くしたエース藤田の姿は悲劇のヒーローそのものだった。

バッテリー間に生まれたわずかなズレ

 なぜ、サヨナラボークは起きたのだろうか。
 この判定は決して間違いではない。

 なぜなら、藤田はサインを見てから、セットポジションには入ろうと動作を始めた後、すぐにやり直しているからだ。プレートを外さずに行うその動きがボークとされるのは当然のことである。

 藤田がこのときのことをこう振り返っている。

「あのとき、どんな球を投げるか自分の中では決まっていたんです。サインは一応見るくらいのものだった。それでサインを観たんですけど、自分が頷いた後にまだキャッチャーのサインが出ていて……アレ?っと思って、セットに入りかけた手を一瞬、戻してしまったんです」

 藤田がそのような動きをしたのには伏線がある。

 当時の高校野球では、走者によるサイン伝達が許されていた時代だった。塁上にいる選手が打者にコースや球種のシグナルを送っても咎められることはなく、それはテレビ画面上でも確認できるほどで、二塁走者の不審な所作は、当時の高校野球では“日常”だった

 この試合も例にもれず、サイン伝達は行われていた。「僕らもやっていましたしね、そういう時代だった」と上本はいう。ただ、このとき、藤田と上本の間では一つの約束事が決められていたのだという。

 それは、サインを二度出すということだった。
 走者を混乱させるため、二度出すことでサイン伝達を防ごうとしたわけである。

 しかし、これがアダとなった。試合は延長15回まで及び、しかも炎天下で行われている試合だ。その約束事があったことに、記憶や判断が鈍るのも無理はなかった。

 上本は言う。

「あれは僕が悪いんです。スコアリングポジションにランナーがいったら、サインを二回出すという話はしていたんですけど、あの試合はセカンドにランナーが行く機会が9回まで少なかったんです。それで、僕自身も安心しちゃっていたことがあって、あの場面では藤田に確認していなかった。大丈夫やろうと。それで、あの時、最初に出したサインは、藤田が投げたいボールだったんです。それで、藤田は頷いて、ああなっちゃったんだと思います」

 藤田は集中していたのだという。
「インコースのストレートを投げるつもりでした。ノーアウト満塁でしたけど、追い込んでいたし、相手は下位打線でしたから。このバッターを三振にとって、その後をゲッツー。延長18回まで行ける、と」

 しかし、図らずも、両者の意図がわずかにズレ、それが結果的に悲劇を招いてしまったのだった。

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最終更新:8/2(火) 11:00

ベースボールチャンネル

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