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医師も人の子、どうしても共感できない患者とは

JBpress 8/2(火) 6:00配信

 (文:澤畑 塁)

 どんなときでも冷静で、感情的になることはけっしてない――医師に対してそうしたイメージを抱いている人は少なくないだろう。だがもちろん、彼らも人の子であり、そうしたイメージそのままであるわけがない。ふだんはどんなに冷静な医師であっても、ときとして強力な感情に圧倒されてしまうことがあるはずだ。

 それならば、医師は現場で実際にどんな感情を抱いているのか。そして、そうした感情は医療行為にどのような影響を与えているのか。本書『医師の感情 「平静の心」がゆれるとき』は、そんな問題に光を当てようとした、アメリカの現役医師によるルポルタージュである。

■ どうしても共感を抱けなかった「被害者」とは

 本書はまず「共感」の話から始まる。ここでいう共感とは、「他人の視点でものを見て、感じることのできる能力」、あるいはもっと限定的には、「患者の苦痛を認識し、理解すること」である。よく言われるように、医師は患者に対して「同情」する必要はないかもしれない。しかし、よりよい診断と治療を行おうというのであれば、患者の視点に立って、その苦痛をきちんと認識することがたしかに必要であろう。そのように、共感という心の働きは医療においてとくに重要だと考えられるが、それにもかかわらず、患者の属性やそのほかの条件次第では、医師やスタッフたちはしばしば共感を抱くことができないのだという。

 その象徴的かつ極端な例が、冒頭で披瀝されている、医学部1年生のときの著者の実体験だろう。当時、医療の現場をまだ経験していない頃、著者はボランティアとして性犯罪被害者のケアを買って出た。ある日の午前3時、ポケベルで呼び出され、初めて救急救命室へと向かう。現場の混乱ぶりと緊張とですっかり怖じ気づきながらも、著者はなんとか被害者を見つけ、そちらへ歩み寄っていった。が、その途中で著者の足はぴたりと止まってしまう。

 被害者がじつはホームレスで、強烈な悪臭を放っていたからだ。悪臭だけではない。彼女がまとっていたぼろぼろの衣服からはゴキブリが顔を出し、またそのなかへと消えていったのだ。もちろん著者はそのとき、被害者の女性をケアしなければならないと頭では理解していた。しかし、身体の内側から湧いてくる嫌悪感により、どうしても足が動かなかったのである。そして、ようやく足が動くようになったとき、著者が向かったのは、被害者のもとではなく、なんと後方のデスクカウンターの裏だった。つまり、著者は被害者に共感を抱くことなく、その場を逃げ出してしまったのである。

 いまのエピソードはもちろん、著者が未熟な学生だった頃の話であり、プロフェッショナルな医師の話ではない。だが他方で、たとえプロフェッショナルな医師やスタッフであっても、患者に共感を抱くことができないケースが少なからずあるようである。

 著者が具体的に指摘しているのは、患者が薬物やアルコールの依存症、病的肥満、文化的・言語的に異なる人、特殊な性格の持ち主、といったケースである。そうしたケースでは、医師と患者の間に大きな隔たりがあって、医師は患者の立場に立って考えることができないのだという。たいていの医師は、医師となるために長らく自己抑制を続けてきた人たちである。それゆえ、たとえば依存症患者は、彼らの目には怠惰や自堕落なものに映り、なかなか理解の対象とならない。また、痛みに対する言語的表現が過剰な人(いつも「今までで最悪!」と表現するような人)も、医師の共感をなかなか得られないようだ。

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最終更新:8/2(火) 10:20

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